放送大学で植物を学び、製品化へ
岡崎はもともと、高周波回路の設計技術者だった。当初は高周波測定機器の会社に勤めていたが、1993年に起業。電子応用機器の受託開発を始めた。
携帯電話の基地局向けの仕事を受注できたことで、順調に業容は拡大。大手電機メーカーから「エンジニアを増やしてくれれば、もっと仕事を回すから」と言われて、社員を採用した途端に2000年のITバブル崩壊に襲われた。
仕事はいきなり半減し、電機メーカーの口約束も立ち消えになった。切羽詰まって岡崎は社員を解雇せざるを得なくなった。自ら見切りをつけて辞めていった社員を含めて7人が会社を去った。
受託開発の限界を感じた岡崎は自社製品の開発を決意した。だが、何から手をつけていいかわからない。いろいろと悩んだが、岡崎は山に登って植物をよく撮影していたことから、大気汚染の悪影響を痛感していた。大量の松が枯れていたのだ。
それならば、環境問題を解決する新規事業をやりたいと思うようになり、太陽電池や風力発電も検討したが、自社では手に負えないと思った。そんなとき、ある研究者のLEDによる光合成に関する論文に出会った。
LEDは、ただの表示装置だと思っていた岡崎は驚き、植物を育てることも可能なのかと半信半疑で、簡単な栽培装置を作ってみた。
ところが、どんな種を蒔いても全く発芽さえしなかった。苗を買ってきて、植えても枯れてしまう。これは植物の生理を全く知らないからだと岡崎は持ち前の研究熱心さを発揮、放送大学大学院に入学してしまった。
会社が危機的状況にあるときに、何と悠長なと思うかもしれないが、回り道のように見えて結局、近道だったのだ。
大学で技術経営を専攻し、植物生理学、遺伝子工学、分子生物学などを受講。その知識を活かして再度、LEDによる発芽実験を行うと完全に成功した。