「4カ月で作れ」創業社長の大号令
アイリスオーヤマの主力拠点「角田ITP」(宮城県角田市)は、阿武隈川を見下ろす高台にある。豊かな緑に囲まれたのどかな所だ。ここに、日本のLED電球の価格を劇的に下げた男がいる。
男の名前は小野恭裕。「趣味でも電気回路をいじる」という根っからの技術者だ。大学卒業後、大手電機メーカーの系列企業に入り、携帯電話の技術開発などを担当。10年前、在籍していた仙台の研究所の閉鎖に伴い、転職した。アイリスでは専門との関わりは薄いが「電気回路には詳しい」ということで、他社から仕入れた電気製品の品質管理などを担当してきた。
照明とはまったく無縁だったが、生活用品を扱う企業としてLED電球の必要性は感じていた。数次にわたり大山健太郎社長に販売を提言。2009年4月にようやくGOサインをもらっている。
09年はLED電球の本格的な普及が始まった年だ。この年の3月、東芝が国内で先駆けてLED電球を発売。このときの価格は約1万円だった。
小野は大山社長のサインをもらうにあたり、約5000円で販売できる製造元を確保していた。中国の国際展示会で、自ら見つけてきたのだ。LED電球は「エコルクス」のブランド名で09年8月に発売されたが、この時期には他社も価格を下げていたため、市場に大きなインパクトは与えられなかった。
3カ月後の09年11月。突如、大山社長から「2500円で販売できるLED電球を自社製作せよ」との大号令が発せられた。小野は仰天した。
「たしかにイルミネーション用のLEDは社内で作っていました。ただし点灯寿命や発熱対策など、電球とは仕様がまったく違います。技術も設備も、流用できるものは何ひとつなかった」
LEDプロジェクトのマネージャーに任命された小野に、開発部トップの大山繁生常務がさらなる追い打ちをかけた。
「最初は2500円で販売するが、すぐに他社が追随してくるから1980円で売れる原価で作れというのです。しかも発売は来年の3月以外にないと」
社長の号令から発売まで、実質4カ月。しかも、現状の半値で売れる原価にしろという要求だ。そんなことが可能なのか。
「もう、むちゃくちゃですよね」
小野はこう言って笑うが、このハードル設定、大山社長に言わせれば極めて合理的である。
「世の中はCO2削減や節電の方向に向かっていますが、100ワット形の白熱電球が100円で買えるのに、5000円のLEDを買うのは、よほど意識の高い人だけです。でも、2500円だったらどうですか。LEDの電気代は白熱電球の10分の1。2500円なら、最初の1年で元がとれます。しかも寿命は10年。これなら普通の人でも買おうと思うでしょう」