国産ブランドを培う「契約栽培」の伝統
かつて「トマト翁」と呼ばれた男がいた。蟹江一太郎――カゴメの創業者である。1875年、蟹江一太郎は愛知県知多郡荒尾村(現東海市荒尾町)の農家に生まれた。彼がトマトの栽培を始めるのは1899年。兵役を終えるとき、上官にかけられた次のような言葉がきっかけだったという。
「これからの農業は、これまでのように米麦をつくることのみ専念していたのでは、いかに額に汗して働いても発展や向上は期し難い。だから、たとえば西洋野菜のような将来性のある作物をてがけるなどの工夫をして、農業の在り方を今日の時代に即したものに変えてゆかねばならない」(社史より)
彼はこの言葉に促され、キャベツやレタス、タマネギ、ニンジンといった西洋野菜の栽培を手掛け始めたのである。
だが、その中でトマトを好んで口にする日本人は皆無だった。もともとは江戸時代に観賞用として持ち込まれた植物であり、当時の品種は匂いもずっときつかった。人は青臭い匂いの漂うトマト畑の前を、鼻をつまんで通り過ぎる程だったという。
蟹江一太郎の創業者たる所以は、大量の在庫を見ても栽培を諦めず、ホテルなどの料理人に学んでトマトの加工を試みたところにある。自宅の納屋でトマトを刻み、熱を加える。すると次第に青臭さは消え、旨味成分が引き立てられた調味料やソースとなった。国内でトップシェアをもつ「トマトケチャップ」の原点には、そのような創業の歴史がある。