「僕らの目の前でボロボロ泣いた」

では、サントリーの営業マンたちは、いったいどのような情熱を持ってプレモルを売っているのだろうか。

JR名古屋駅から徒歩5分。名古屋の台所と呼ばれる柳橋中央市場の一画に「柳橋ビアガーデン」がある。オープンは11年。席数600。週末には700人が訪れて2000杯を超えるビールジョッキを飲み干す。東海エリアで最も杯数の多い人気店である。

経営母体である柳橋総合開発グループの社長・水谷義之(47歳)によると、オープン当初はプレモル以外のビールを出していた。そこに現れたのがサントリービア&スピリッツ名古屋支社の古ふる荘しょう智圭(29歳)だった。

伝統的に名古屋はキリンが強い。そこに一本一本プレモルの楔を打ち込んでいくのが古荘のミッションだ。サントリーはこれをランドマーク戦略と呼ぶが、柳橋ビアガーデンはどうしても欲しい店舗の一つだった。

大学でアイスホッケーの選手だった古荘。丸々と刈った頭と、歌舞伎役者のように大きく澄んだ両眼が印象的だ。

「最初の頃、水谷社長の東京視察に勝手についていったりして、すごく鬱陶しかったと思います(笑)」

一方の水谷も、「骨がある若い営業マン。『営業してもいいですか?』って言うから、それは全然問題ないですよ、と伝えて受け容れさせていただきました。その後、何度かコミュニケーションを取る中で、なかなか面白い男だなという興味はありましたね」と、当時を振り返る。

この東京視察の際、古荘は12年春に水谷が名古屋駅前に「メイヨン酒場」という12店舗が入る横丁をオープンさせることを知る。しかし、そこにもすでに柳橋ビアガーデンと同じビールが入ることが決まっていた。古荘は数カ月間、メイヨン酒場に日参して各店の店長と知り合いになり、他部署まで巻き込んで食い込もうとしたが、他社の提案力には及ばなかった。

「僕らは企業の方々には必ず中期経営計画をお見せして、『僕らの戦略はここにあります』『数年後にここに到達したい』という話をして、そこに共感頂いたり、『僕たちだったら、こんなことができます』という企業様とお付き合いするように心がけています」

という水谷。古荘は反省しきりだ。

「商品軸に頼った提案ばかりして、広告とか集客といった提案が手薄でした。本当の意味での顧客ニーズを把握できていなかったんです」

ところがオープン後、水谷は12店舗のうちの3店舗を、プレモルに切り替えることを決断する。

「メイヨンがオープンする前、古荘さんが役員さんを連れてクロージング(最終意志確認)に来たわけですよ。答えを引き延ばしても仕方ないので、はっきりダメだと伝えようということで食事を一緒にしたのです。お取り組みはできませんと伝えると、役員さんが帰った後に、彼、僕らの目の前でボロボロ泣いたんです。そのとき、人前で涙を流せるほど責任感の強いやつがうちの会社にいるだろうか、ここまで本気だったのかと。だから、いずれ必ず取り組みますと約束したのです」

あらゆる商品がコモディティー(均質)化していく今、「誰から買うかに価値がある」という水谷の言葉は、メーカー側の悩ましい一面を突いている。

「古荘さんは生真面目ゆえか、仕事でもけっこう取りこぼしがあるんですよ。アレッ? みたいな(笑)。それを含めても、古荘さんみたいな、若くて真っ直ぐな人が一所懸命仕事をしている姿は美しいといつも思います。一所懸命な姿って、人を動かしますよ」