売り上げが伸びると、ホームセンターから「取引額が問屋を上回る規模になった。問屋と同じサービスをしてくれ」と言われた。センターは配送や陳列、店頭活動まで、問屋に依存していた。こちらは直販で問屋を通していないから、それがない。センターに、支援できないなら問屋を通してほしい、と要求された。

家業を引き継いだころは、問屋経由で商売していた。だが、第一次石油危機後の不況期に、応援団と思っていた問屋がむしろ立ちはだかり、「よそが安く売ってくるのだから、もっと安くしろ」と言い募られたときの屈辱を、忘れていない。

選んだのは、自ら問屋機能を持つ道。メーカーベンダー(製造卸)と呼ぶ業態の誕生だ。店頭活動にまで責任を持つとなれば、生活者の目線が、ますます大切になる。「不満と不足」をとらえ、商品開発を重ねることが、会社の「宿命」となり、成長の源泉ともなっていく。

実例は、枚挙にいとまがない。88年1月に発売した透明の収納ケースは、居間の光景を変える力まで持った。プラスチック製の収納箱は、それまでもあった。だが、季節の変化に応じて衣料を出すときなどに、どの箱にあるのか、多くの人がみつけるのに苦労していた。大山家も、例外ではない。ある日、釣りに出かけるとき、着ようと思ったセーターがみつからない。探すうちに、妻と言い争いになってしまう。この体験から「もっと、探しやすい収納箱があっていい」と実感する。

答えは簡単だった。収納品が外からみえるように、透明の素材を使えばいい。注射器用の樹脂に眼をつけて、原料メーカーと共同でコストを下げ、従来の収納箱より2割ほど高い水準にまで、価格を抑えた。販売関係者には「いくら透明でも、高くては売れない」と冷たい反応が多かったが、生活者は逆だった。

大山流では、新商品をつくる際、消費者に受け入れてもらえる「値ごろ感」を固めてから、開発にとりかかる。そして、一定期間で元が取れるめどがつけば、発売する。透明な収容ケースも同様だ。もう一つ、工場の稼働率は、70%までに抑えている。それを超える状態が続けば、繁忙期には欠品が出る。ひとたび品切れに遭遇すれば、お客はもう戻ってこないかもしれない。

「善戦者勝於易勝者也」(善く戦う者は勝つ、とは、勝ち易きに勝つ者なり)――善戦した者が勝つという言い方があるが、それは、勝ちやすい戦いをして勝つ人のことだ、との意味だ。『孫子』にある言葉で、戦う以上、一か八のようなことは決してやらず、必ず勝つとの見込みがある戦さをせよ、と説く。生活者がほしいというものを見定め、値ごろの価格を設定し、品切れを防ぐ大山流は、この教えと重なる。