【理由2】
●現代ビジネスマン――家族や仲間を大事にする
●官兵衛――側室を持つことが当然の時代、妻を1人しか持たなかった
官兵衛を現代になぞらえると、地方の町工場の2代目社長のような人物です。その家臣団は黒田二十四騎と呼ばれるほど結束が強かった。まさに町工場の熟練工です。官兵衛は彼らから実父のように慕われており、その絆の強さには秀吉や家康も恐怖を感じていたようです。
そういう彼が中央の大企業の社長(信長)に認められ、常務(秀吉)を紹介され、彼と一緒に地方で営業版図の拡大に勤しむ。そのうち、その企業でクーデターが起き、社長の信長が部下(明智光秀)によって殺されてしまう。官兵衛は叛旗を翻した秀吉常務につき従って本社に戻り、彼を社長にさせるべく、ひとかどの働きをする、というのが彼の人生の大きなヤマです。
官兵衛はいつもナンバー2でした。これも多くの現代人の共感を呼ぶところだと思います。現在はスーパーヒーローが望まれる時代ではありません。そういう人が出てきて何もかも変えてくれたら楽だとは思いますが、これだけ複雑で変化が激しい時代、そんな人が出てきても、結局はうまくいかずに失望するだけ。皆そのことをよくわかっています。
ほかでもない、自分自身が毎日一生懸命仕事をして、成果をあげなければならない。そういうとき頼りになるのが、俺様第一のリーダーではなく、チームをうまくまとめ、時には卓抜なアイデアも出してくれる官兵衛のような人物です。努力すれば自分もなれるかもしれない、身近なヒーローですね。
官兵衛はほかにも現代的なところがありました。当時の武将といえば、側室を持つのは普通のことでした。お家第一で、ましてや戦乱の時代ですから、息子はいくらいてもよかったわけです。また秀吉がその典型ですが、「英雄色を好む」が大っぴらに認められる風潮もあった。でも彼は側室を持たず、子供も長らく1人しか生まれませんでした。こんなところも現代人が彼に親近感を抱く所以でしょう。
彼は死ぬとき、こんな言葉を息子に遺しています。
「神仏の怒りを買ったら拝めばいい。主君に怒られたら謝ればいい。でも家臣や領民に見限られたら終わりだぞ」と。こんな言葉も部下を持つ管理職にグッとくるのではないでしょうか。