宗教学者 
島田裕巳氏

【南】そうです。「回心」と違って、「悟り」は語ることができません。道元禅師は『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』(※注3)で、とにかく一般的にいう「悟り」にあたる「見性」というアイデアを戒めています。鈴木大拙(だいせつ)氏が強調しているような「悟りの体験」について、道元禅師は関心がなかったはずです。『正法眼蔵』が難解なのは、明確な結論を出すこと自体に拒否があるからだと思います。だからどこにも結論がなく、ただ言語の過激な運動だけがある。

【島田】親鸞や道元の思想は「正解はない」という考え方ですよね。これは笑い話ですが、センター試験に「親鸞の説いた『悪人正機(あくにんしょうき)』とは」という問題が出てくる。おそらく道元も出てくるでしょうね。4択で正解を選べというのは――。

【南】無理でしょうね(笑)。

【島田】「そんなものだ」という記号に括られてしまっているわけですよね。

【南】道元禅師は何かをいい切ること自体に不信感があるのかなと思います。禅では「不立文字(ふりゅうもんじ)」とか「言詮不及(ごんせんふきゅう)」といいますね。真理とは、いい損なうことでしか自覚できない。たとえば「成仏」とは、成仏しようとすることだというわけです。成仏というのは「はい、ここで終わり。できました」ではなくて、成仏しようと努力する過程だというわけです。

このとき問題になるのは、この教えを一般の人に敷衍できるか、という点です。下手をすると、「いまここがすべてだから、その1点に集中して日々を生きるんだ」という単純な話になりかねません。

【島田】スティーブ・ジョブズが禅に影響されている、という話は、そういうことですよね。ヒッピー運動の中心的なスローガン「Be here now」と同じです。

(※注3:開祖・道元が著した曹洞宗の宗典。87巻の大著で、難解で知られる。曹洞宗の教団では「弁道話」巻までを現代語に翻訳。現在、公開準備中という。)