もっとも、最初から食い逃げするつもりで料理を注文すれば、その注文自体が詐欺行為であり、罪に問われる。これは、窃盗と異なり、強盗や詐欺の場合は、「利益強盗(強盗利得)」や「利益詐欺(詐欺利得)」が刑法で処罰の対象になっているからだ。店員を脅すなどして支払いを免れようとすれば強盗罪となるし、「財布を家に忘れたので取ってきます」と店員にウソをついて逃げれば、詐欺罪が成立する。
つまり、食い逃げの意思が生じたタイミングにより、罪に問われるかどうかが決まるわけだが、「途中で食い逃げの意思が生じた」ことを実際に裁判で証明するのは至難の業。「初めから食い逃げするつもりだったろう」と、検事に問い詰められるのがオチだから、現実には食い逃げで無罪を主張するのは難しい。
いくら道徳的・倫理的に悪いと思われている行為でも、犯罪として条文に書かれていない限り、その行為を犯罪として罰することは許されない。この建前を「罪刑法定主義」と呼ぶ。何を犯罪とするかは、民主的な手続きや議論にのっとって、国会の「法律」や地方議会の「条例」といった形式で事前に定めねばならないのである。
では、利益窃盗が処罰されないという「法律の抜け穴」が塞がれないのはなぜだろうか。
「利益窃盗が問題になりうる場面は、サービスにしかるべき対価を支払わない債務不履行(契約違反)が大半。もしも利益窃盗が犯罪として指定されれば、民事の問題である債務不履行が、ことごとく刑事処罰の対象となり、法体系全体のバランスが崩れるからでは」(佃弁護士)
法律の抜け穴らしく見える領域にも、単なる立法者のミスや怠慢のせいでなく、なかにはあらかじめ計算されて開けられている穴もあるようだ。