森ビル社長 辻 慎吾 
1960年、広島県生まれ。85年横浜国立大学大学院工学研究科修了、同社入社。2001年タウンマネジメント準備室担当部長、06年取締役、08年常務、09年副社長。11年より現職。

森ビルが「タウンマネジメント」の中で実践したもう1つ特徴的な試みは、それらの企画にかかる費用を、通路や広場、ビジョンなどの共用施設の広告費でまかなうという手法だった。店舗からではなく広告主から集めた資金をタウンマネジメントの原資としていく。これを彼らは「街のメディア化」と呼んでいる。

「『ブランドブック』がそうであるように、様々な人たちが街に参加することで横のつながりが生まれ、新しい何かが生み出される。我々と一緒になって街づくりに加わることのメリットを示すうちに、自ずと多くの店舗が街づくりに協力してくれるようになっていきました」

そうして六本木ヒルズの「街づくり」を担ってきた辻は、「自分と森(稔)ほどこの街を歩いた人間はいない」と続ける。

例えば休日の午後、彼は開催されているイベントに必ず足を運び、六本木ヒルズの敷地をひたすら歩いた。そのなかで子連れの母親の姿を多く見かければベビーカー用のサービスを作り、車椅子の高齢者の利便性が足りないと思えばそれを街に付け加えた。そんなとき、自らもレジデンスに住む森が街を歩く姿をよく見かけたものだった。

<私たちの仕事は、その場所にふさわしい人々、そのエリアに求められる人々のライフスタイルや価値観に合った舞台や仕掛けをつくること。建物や街をつくるのであっても、街を成熟させ、街の個性を創り上げていくのは、そこに住み、働き、集う人間である>(森稔著『ヒルズ 挑戦する都市』(朝日新書))

都市の主役は人間――森が繰り返し語ってきたこれらの思想を受けて、その意志を経営者として継いだ辻は言う。

「いま東京は世界の都市間競争にさらされ、都市のあり方そのものが問われています。その競争に勝つために、東京がどのようにあるべきかを森は20年前から考え続けてきた。この街には何が必要なのか。ヒト、モノ、カネを引き付ける磁力を持つ都市をどのように作り上げるか。六本木ヒルズの運営を通して我々が考えてきたのは、このような都市が必要なのだという街づくりの思想を提案することでもあった。後に続いた他社の再開発を見てもわかる通り、この街は日本のデベロッパーが貸しビル業から街づくり業へと脱皮するきっかけとなったんです」