例えば地震に対する対策だけを見ても、森タワーはオイルダンパーなどを活用した耐震構造を持ち、独自のガス発電施設など充実したインフラを装備していた。事実、2011年3月の東日本大震災の際、森タワーの揺れ幅は制震装置がなかった時に比べて約半分となる最大32センチで、後の輪番停電でも電源の不安を感じる必要がなかった。同社は開業時から、「『逃げ出す街』から『逃げ込める街』へ」というキャッチフレーズを掲げているが、そのことは地震リスクの高い東京へ進出する外資系企業をあらためて強く引きつけている。
「また、我々のような企業は海外からの出張者が非常に多い。プロジェクトごとに1カ月、2カ月という単位で人が出入りするため、右も左も分からない外国人でもすぐに使えるサービスアパートメントが隣接していることも魅力的でした。そうした姿勢からは、ただ四角いビルを作って終わりにせず、自分たち独自のものをつくりたいという森ビルのDNAを感じましたね」
「街のメディア化」で貸しビル業から脱皮
しかし、こうした建物の機能や居住環境についての評価だけでは、六本木ヒルズが10年間にわたって毎年4000万人を継続的に集めてきた理由の説明にはならないだろう。そこで注目すべきが、六本木ヒルズを運営するなかで森ビルが培ってきた「タウンマネジメント」と呼ばれる手法だ。
開業の2年前にタウンマネジメント事業部を立ち上げた現社長の辻慎吾は、徹底したブランド化によって街の賑わいを常に作りだしてきたことが、六本木ヒルズの「磁力」の源泉になっていると語る。
「住む、働く、憩う、遊ぶ、といった様々な機能がコンパクトに複合した街は、当時の日本にはまだ存在しませんでした。最上階に美術館があり、映画館や飲食店、オフィス、住宅が混然一体となった場所で、絶え間なくイベントを企画し、コミュニティの場を作っていく。ビルを作ったら終わり――ではなく、街を活性化させる仕掛けづくりを続けてきたことが、六本木ヒルズの画期性だったんです」