若者はメッセージで句読点をつけないし、そうした文章に好印象を持たない――。ネット上で拡散するこうした話題の背景にあるものは何か。文筆家の御田寺圭さんは「若者は、句読点がある“文書”を目にすると、自分の責任を追及されているような、詰問に近いニュアンスを感じ取り嫌う。でも、おじさんLINEなどと揶揄されても『だからなんだ?』と言い返してやればいい」という――。
カフェでスマホを使うティーンエージャー
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若者たちは、LINEで句読点をつけたがらない

「若者はメッセージのやりとりで句読点をつけない(つけたがらない)し、そうした文章に好印象を持たない」という話題がツイッター上で拡散していた

結論からいえば、これはぼぼ間違いなく事実である。個人的な観測とも一致するし、当事者たちからも同様の証言をいくつも受けたことがある。ツイッターを活発に利用する人は主として中年層が多いせいか、この事実は多くの人にとって大きな衝撃を与えることになった。「嫌われていたなんて知らなかった」「キモがられないためにはどうしたらいいのか」などと困惑と動揺の声が方々からあがっていた。

なぜかれらが句読点を――とりわけ句点[。]を――忌避、もっといえば嫌悪するのか。それは、句読点(が用いられた文章)には「冷たい印象」を受けてしまうからだという。

若者からすれば、句読点は「大人(中高年)」が自分たちに向ける“文書”に用いられているものであり、往々にしてその内容は目的志向的で、なにより批判的なニュアンスが含まれていることが多い。だからこそ、LINEなどのメッセージアプリ上で句読点がある“文書”を目にすると、そこに自分の責任を追及されているような、いうなれば「詰問」に近いニュアンスを感じてしまい、嫌なのである。

LINEなどのメッセージアプリにおいて年長者たちは「~ですか。」「わかりました。」など、きちんと句読点を使う。口語表現であろうが“文書”であれば当然あるべき句読点を使っているだけでそれ以外の他意はないのだが、一方で若者たちはそれらに「詰められている」「追及されている」「批判されている」という印象をうけている。

このような句読点に対する印象とニュアンスのズレは、若者層と年長者の間ではLINEをはじめとする「メッセージアプリ」に対する基本的な認識が異なっているからこそ生じる。

すなわち、若者たちにとってそれは「会話の一形態」であるのに対して、年長者たちは「簡易版メール」のような感覚を持っていて、つまり手紙やメールの延長上にある「文書送信の一形態」なのである。