現在の日経平均株価の高値更新は、一見して1980年代後半のバブル景気に似ています。しかし、賃金はアップしない、労働生産性も低いまま、インフレ基調が明確になる日本。この30年、日本の「経済戦略」には、世界的な潮流と一線を画す大きな戦略の誤りがあったと加谷さんは指摘します。約30年前の状況とは、何が違っているのでしょうか――。

今の株価高騰、不動産価格の上昇は、バブルの再来ではない

日経平均はバブル崩壊後、最高値を更新し、一部の企業の株も大きく値上がりをしています。同時に不動産価格も上昇しているため、バブルの再来ではないかと考える人がいるようです。しかし、その考えはまったく当てはまりません。バブル景気が発生した1980年代後半と現在では、経済状況がまったく異なるからです。

日本の景気はおよそ20年前から最悪の状態が継続しています。見かけ上の物価が上がるばかりで賃金は上がらず、景気がいいどころか、基本的に状況は悪化しただけ。私たち国民が、実質賃金が下がる中でたいへんだと感じているのは当然のことです。この20年間事実上ゼロ成長だったから、今の40代の人たちは、景気が良かったことすら知らないわけです。

では80年代後半のバブルのときはどうだったか。簡単なことですが、当時の日本経済は絶好調だったのです。85年のプラザ合意を経て日本の円は1ドル240円から120円まで上がった。しかし、そのような急激な円高にあっても日本の輸出は増えていきました。経済がそれほど強かったからです。そうした状況で特定の資産が実際の価値以上に買われるバブルが発生したのですが、今起きているのは、お金が余り過ぎたためのインフレです。だから、インフレに見合った正しい価値を表現するために不動産や資源に買いが集まっている。そういう図式だと思います。

不況下のインフレ、スタグフレーションこそが現状

プラザ合意後に円の価値が一気に倍になったことを今に当てはめてみると、日本の輸出型産業はパニックに陥るでしょう。円の価値が倍になるということは、1ドル60円から70円になるわけですから、とても持ちこたえられない。しかし80年代の日本企業は、潰れるどころか円高が進むたびに輸出の量を増やし、業績はぐんぐん伸びました。円高ではたしかにドルベースでの輸出は不利になりますが、輸入する原材料価格は急激に安くなるわけです。80年代の日本企業はそのメリットを活かし、円高の環境下でも儲けることができました。

このように企業に競争力があるときは、為替がどちらに振れようとお構いなし。収益力があるので、円高でも円安でも利益が増えます。しかし過去20年の日本では、円安でないとダメだ、円高は日本企業を滅ぼすと言われてきました。なぜかというと、単に日本企業の競争力がなくなったからです。企業の不振は現在まで続き、貨幣的な要因でインフレになってしまった。これはバブルどころか、不況下のインフレ、つまり、スタグフレーションです。

ひとたびスタグフレーションに陥ると、対応は極めて難しくなります。インフレを放置して景気対策を優先するか、インフレを抑制して景気を犠牲にするか、二者択一を迫られます。企業が原材料などのコスト上昇分を吸収し、以前のような生産ができればスタグフレーションにも対応できます。しかし、そのためには、企業は、生産性を急激に高める必要があります。

戦略を誤ったまま労働生産性はアメリカの半分に

日本企業の多くは、生産性を高める努力をしてきませんでした。そのため、日本の生産性はアメリカの半分、ドイツの3分の2しかない。つまり、アメリカ人が10人でやれる仕事を、日本人は20人でやっているということになります。異常事態です。90年代に始まった世界的なパソコンの導入とビジネスのIT化を、当時の日本企業のトップたちが蔑ろにし、過去の技術力を傲慢にも信じ続けました。

アメリカもドイツもIT化と合理化を進め、韓国、台湾、中国も、ソフトウエアを用いて顧客ニーズにカスタマイズするビジネスにシフトしたのに、ひとり日本だけがIT化せず、ハードウェア中心のビジネスにこだわり、生産性の低下を招いた。そこに小泉政権による中途半端な規制緩和もありました。企業経営者は、IT化と合理化を進めるべきなのに、非正規社員の比率を増やして賃金を安くし、下請けにも値引きを強要してコストを下げるという最悪の手段で利益を上げようとしました。

ソニーがウォークマンを発売したのは1979年。日本企業はこうした最終型の製品を開発し、販売することで市場を創り、リードしてきました。しかし90年代以降、日本企業は最終製品の市場でことごとく敗北し、生き残りのために、完成品ではなく部品にシフトしてしまった。その結果としてアップルやサムスンといった最終型をつくる各国のメーカーに買いたたかれてきました。

輸出品の単価を比較すると、日本と同じ工業国であるドイツは過去30年間ずっと単価を上げてきました。付加価値の高いものをつくるから単価も上がるわけですが、一方の日本は30年間、ただひたすら下がるばかり。先進国である日本が、途上国と並んで価格競争をしたのがその原因です。製造業だけで見ても経営者の間違いは明らかで、そのことをしっかりと検証し、海外と同等のIT化と合理化によって生産性向上を目指すべきなのです。それが、日本人が豊かになる道だと思います。

インフレ下で得をするのは、金を借りている人という矛盾

先にも述べましたが、日本では、住宅ローンや企業債務による利子負担が増える懸念から、金利を上げることは難しい。だからまだインフレが続くと考えられます。しかし、株価や不動産価格、資源価格が上がるとはいっても、余ったお金がそこに回っているだけのことです。このことは投資の専門家はみんな知っているけれど、政府関係者や金融機関のひも付きの専門家は本当のことを言わない。メディアも惑わされています。政府は今、貯蓄から投資へと促していますが、私は少し不安に思っています。

一方で、企業の生産性が上がらず賃金もなかなか上がっていかないとすると、生活はより苦しくなります。さらに深刻なのは、インフレ下では物価がどんどん上がりますから、お金の価値が下がるということです。貯金をしていると実質的に目減りし、逆に借金をしていると、実質的な債務は減る。そして今、いちばん借金をしているのは誰かといったら政府です。貯金をしているのは国民。物価が仮に2倍になったら、実質的に半分になった政府の債務を、国民が肩代わりしたことになり、政府は財政再建ができてしまう。私は、そこまでいってやっと、日本のインフレが終わるのではないかという感じがしています。ですから、不況下のインフレに対応する必要があり、企業も個人も防衛策を講じる必要が出てくるでしょう。

(構成=大竹聡 図版作成=佐藤香奈 撮影=大沢尚芳)