勉強することの意味がまるで変わっている

私が新卒で日魯漁業(現マルハニチロ)に就職したのは、1970年。配属されたのはコンピュータ室でした。当時コンピュータはメーカー名そのままに「IBM」と呼ばれていました。ある日、ふとその名前の由来を調べてみたところ「International Business Machine」。つまりコンピュータ社会のスタート時は、間違いなくビジネスで使う機械だったのです。

荒俣 宏氏
荒俣 宏●博物学者、小説家、翻訳家。1947年生まれ。会社員として働きながら評論・翻訳活動を行う。退社後に書いた『帝都物語』が350万部の大ヒットとなり、小説家としての道も歩み出す。最新刊は『すぐ役に立つものはすぐ役に立たなくなる』(プレジデント社)。

私もコンピュータ室にあったとても巨大で、常に冷やしておかないと故障してしまうようなコンピュータを日々使いながら、こんな仕事の道具が一般の人に広がることなんてありえないと思っていました。誰もがポケットに入るスマホというコンピュータを持ち歩く時代が来るなんて、まったく想像もしてなかったですよ。

そんなビジネスのためのコンピュータを変えるきっかけをつくったのは、「アップル」のスティーブ・ウォズニアックやスティーブ・ジョブズといったマニアな人たちです。彼らがビジネスのツールからゲームや通信ができるおもちゃに、つまり個人の道具として使えるようにしてくれた。

コンピュータが企業のコンピュータ室を飛び出し、「マイコン」と呼ばれる個人のパソコンとなって爆発的に広がっていったのには、この遊び道具というコンピュータの新しい役割が少なからず関係していたと思います。もしあのまま、企業で仕事のために使うだけだったら、今のコンピュータ社会は来ていなかったのではないでしょうか。

コンピュータが広がっていったのと同時に、働くことの意味も少しずつ変わっていきました。私の親戚の若い連中もそうですが、正社員になることすら好ましく思っていない人もいます。なかには半年働いて、あと半年は失業保険で食っていくという人もいますからね。医者だろうがエンジニアだろうが、同じような考えを持っている若い人は多い。できることなら時間の半分は自分の自由に使わせてくれという。

それと同時に、勉強することの意味も変化しています。例えば日進月歩で進化していたコンピュータの知識なんて、1年も経てば何の役にも立たなくなる。それよりオフ会などでみんなと共有できる、趣味の知識を深めるほうがよいという人が増えていったのです。

そうした趣味の勉強は一生役になんて立たないかもしれない。でもその一方で、一生をかけて幸せな時間をくれることはたしかです。となればもう仕事に役立つ効率的な勉強法なんて必要ありません。むしろ非効率に、できるだけ長く深く味わえる勉強法が必要になってくるのです。

しかも今の社会では、役に立たないと思われていた知識がひょんなことから日の目を見て、役に立ってしまうこともありますから。例えば思い出すのは会社員時代、コンピュータ室周辺にいっぱいいたヘンな人のひとりで、昆虫採集の趣味を極めていた、かなり変わり者の先輩のことです。

今ではごく普通のことですが、趣味を優先して仕事を二の次にする人は、当時は珍しかったですからね。いや、野球とかのスポーツの趣味なら、会社も応援してくれたんです。なぜなら、会社対抗の野球大会などで活躍してくれるから。一方、ボランティアでも研究でもほかの趣味は、どこの会社もいい顔はしなかった。社会のためにはなるものの、野球大会と違って、会社にはなんの関係もないからです。

ところがその先輩だけは、有休をフルに使って堂々と昆虫採集の旅に出かけるわけです。何度も言いますが、当時はそんな人、珍しかったんです。