日本橋の本屋の娘だったのか

ところで、蔦重が日本橋通油町の丸屋小兵衛の店舗と蔵を買い取って、吉原から日本橋に進出したのは、天明3年(1783)9月のことだった。

おそらく、これは単に店舗を買ったということにとどまらなかった。鈴木俊幸氏は「おそらく丸小が掌握してきた地本問屋としての製作・流通に関わる利権を購求したことにもなるのであろう」と記す(『新版 蔦屋重三郎』平凡社ライブラリー)。

とはいえ、江戸の一等地である日本橋の店舗と蔵、そして利権までを買い求めるのは、大変なことだったはずで、鈴木氏はこうも書いている。「これまでの営業の積み重ねで、日本橋に店を構えられるだけの蓄財が可能であったとは思えない。吉原有力者の支援もあったものかと想像する。吉原にとってみても、吉原細見はもちろん、俄や燈籠の番付、また遊女の一枚絵などが並ぶ日本橋の蔦重店は吉原の広告塔の役割を期待できる」(『蔦屋重三郎』平凡社新書)。

前北斎為一『冨嶽三十六景
前北斎為一『冨嶽三十六景』. 国立国会図書館デジタルコレクション 参照:2025年6月27日

「べらぼう」の第24回では、吉原の親父たちが丸屋の借金の証文を買い集めて日本橋に乗り込み、丸屋を売るように談判したが、そうしたことが実際にあったとしても、不思議ではない。

ドラマでは、その際の交渉相手が、丸屋小兵衛の娘である「てい」だった。しかし、蔦重の妻の経歴や属性を示す記録は残されていない。

誰かの助けなしに出世は考えにくい

ただ、この時代は商人の世界でも世襲が当然だった。なんの経験もない若者が辺境の吉原で出版業をはじめ、わずか10年ほどで日本橋に店を構えるなど、並大抵のことではなかった。

曲亭馬琴の『近世物之本江戸作者部類』には、蔦重についてこう書かれている。「十余年の間に発跡して一二を争ふ地本問屋になりぬ。世に吉原に遊ひて産を破るものは多かれと吉原より出て大賈になりたるはいと得かたし」(十数年の間に地本問屋として著しく発展した。吉原で遊んで財産を失う人が多い中で、吉原から出て大商人になった例は珍しい)

こうした困難を乗り越えることができたのは、蔦重が丸屋の女将である「てい」と結婚したからだ、という「べらぼう」の設定は、あながちその蓋然性を否定できないように思われる。

ところで、「べらぼう」で橋本愛が演じている「てい」は、奇妙なかたちのメガネをしているが、この時代に、こういうメガネはあったのだろうか。

メガネの歴史は案外古い。発明されたのは13世紀後半のイタリアで、日本に伝わったのは16世紀半ば、フランシスコ・ザビエルが山口を拠点に中国地方に勢力を誇った守護大名、大内義隆に贈ったのが最初だといわれる(中国から伝来したもののほうが古い、ともいわれる)。織田信長がメガネ姿の宣教師に驚いた、という記録も残っている。