ついついさぼってしまう掃除。しかし習慣化すると、単に家がきれいになるだけでなく「心」も豊かになると聞けば……もうやるしかない。
床を雑巾で拭く
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掃除はタスクではなく誰でもできる自分磨き

誰にでもできる仏道の取り組みとは何だろうか――。僧侶として22年間歩んできた私の大きなテーマです。

私は浄土真宗のお寺に勤めていますが、仏教の宗派を超えて皆で取り組めるものは何かと考えたとき、実践面で共通するものは意外なほどありませんでした。坐禅を組むのは禅宗ですし、護摩祈祷は真言宗の修法です。お題目も浄土系は南無阿弥陀仏を、日蓮宗は南無妙法蓮華経を唱えます。

考えあぐねた末、「あっ、掃除だ」と気づきました。お釈迦さまの仏弟子の一人、周梨槃特しゅりはんどくは「塵を払い、垢を除かん」と唱えながら、ひたすら掃除を続け、悟りを開いたといいます。そんな仏道のエピソードもありますし、掃除だけはどの宗派でも一生懸命取り組んでいます。もちろん、掃除はお坊さんだけではなく家庭や職場、学校でもやっているし、誰にでも実践できるもの。そういうこともあって、改めて掃除に着目したのです。

阿弥陀仏が住むのは極楽浄土ですが、浄土は「土を浄める」と書きます。私たちはやがて往生し、仏の住む世界に生まれ変わりますが、いま生きているこの世は浄土ではありません。浄土に行きたいと思っても、その願いは直ちに叶えられるわけではありません。この世で生きている限り、仏道の修行は終わりのない営みを続けることなのです。掃除もくり返し行わないとすぐに汚れてしまいますから、やはり終わりのない営みと言えます。

日本人は昔から、掃除を日々の習慣として大切にしてきました。日本の小中学校では生徒が全員で掃除をするのが当たり前ですが、海外の学校にはほとんどない慣行です。これはおそらく、日本では掃除というものが「汚れを落とす」だけではなく、「心の内面を磨く」ことにつながると考えられているためです。

修行というと「一人で黙々と行うもの」というイメージがあるかもしれませんが、学校の掃除はチームワーク。いま、ほかの人がどこを拭いているか、周りヘの目配りが欠かせません。全体を把握したうえで、自分が果たすべき役割を考えたり、ほかの人の仕事をサポートしたり、自発的に動いていきます。ですから、学校では掃除に教育的意義があると考えられているのです。

掃除に精を出している時間はとても充実するし、隅々まで丁寧に掃除の行き届いた部屋で過ごす時間は穏やかで心地よいものです。

時々質問されることですが、「私は部屋が散らかっているほうが落ち着くんです」という人もいます。それが快適でしたら、私はいっこうに構わないと思います。正しい掃除の仕方というものはないのですから。ただ、人はちがう状況になったときに、案外こっちのほうがいいと思うこともあります。

散らかった部屋に慣れ親しんだ人も、一回くらいは思い切って掃除をしてみるといいです。掃除をタスクだと思うと面倒くさく感じます。お釈迦さまは、修行は一人だと怠けるからグループでやりなさい、と言われています。仕事や子育てで忙しい人は、ロボット掃除機を使いたければ使えばいい。家事代行に依頼するなど、人の手を借りたいなら借りればいいと思います。