鳥山検校による「妻」への圧力

吉原の女郎の大半は、まだ幼いうちに貧しい親の手で、借金の担保として妓楼すなわち女郎屋に売られていた。その後、客をとれるようになると27歳ごろまで10年は年季奉公しなければならなかった。しかも、休みもほとんどない過酷な生活を強いられ、性病などの病気で命を落とすリスクも高かった。

そんな女郎たちにとって、客が年季証文を買い取ってくれる、つまり身代金を支払って女郎の身柄を引き取る身請けは、いわば合法的に吉原から抜け出るための唯一の手段であった。