尊敬する人が次々と逮捕される
そのときに指針になった聖書の言葉は、「狭い門から入りなさい」(マタイによる福音書・7章13節)です。人間は誰しも、仕事でも日々の判断でも、安易で楽な道を選ぼうとします。事件が発覚してからというもの、マスコミから責められ、記者たちが自宅にまで押し寄せてきました。本当は逃げ出したい。そういうときに聖書をめくると、「狭い門から入りなさい」「滅びに通じる門は広い」という言葉にぶつかるわけです。
それで、やはり安易な道を選んではいけない、歯を食いしばって困難な事態にぶつかっていこう、と考えたのです。
もうひとつ指針になった言葉は、「覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知らずに済むものはない」(ルカによる福音書・12章2節)です。
総会屋への融資を隠すために不良債権を“飛ばす”など偽装工作をしていましたが、絶対に隠しおおせることはありえないと思いました。汚い部分があっても隠してはいけない。1つの隠ぺいが新たな隠ぺいを生み、最後には破滅が待っているからです。
総会屋事件で一番辛かったのは、自分が尊敬したり世話になった人たちが、次々に逮捕されていったことです。
その逮捕に私は1つ1つ付き合いました。その人たちから「後は頼む」とか、1つ1つ言葉や依頼ごとを託されるわけです。その都度、涙が本当に止まりませんでした。