なぜ、苦しく辛いお行を続けるのか

作家・高野山真言宗僧侶 
家田荘子氏

本がヒットしたり、いい作品を出したときに限ってマスコミからバッシングをされてきました。1986年に『極道の妻たち』を出したときも、「(極道と)寝て書いた」とか「ウケ狙い」などとマスコミから叩かれました。コツコツと努力をして、相手の信頼を得て取材を積み上げてきた私には、耐え難いことでした。

当時は、女性がマスコミで仕事をすることが、あまりよく思われていなかったのです。自分で取材をしていないとか、自分で書いていないとか、この作品のときに限らず、ありもしないことで何度もバッシングを受けました。

このままでいたら、体も心も病気になってしまうというほど追い詰められ、私は逃げるように渡米しました。

アメリカでエイズ患者さんを取材した『私を抱いてそしてキスして』で91年に大宅壮一ノンフィククション賞をいただいたのですが、のちに「ノンフィクション賞を取り上げよ」とまで新聞に書かれました。それらのバッシング記事を信じた人たちが、潮が引いたように私の元から去っていきました。頼りにしていた人からも見放されて、私は孤独でした。

このまま負けたくはない。私はジョギングをして体を鍛えようと思いました。体と心はつながっています。心を健康にするために私は走り続けました。

お行と出合ったのもこのころです。エイズの取材をしていたとき、200名以上もの知り合った人が亡くなりました。私は小さなころから、人に見えないものが見えていましたので、エイズで亡くなった彼らは、霊が見える私を頼ってきました。それをすべて受け入れていたら、私は体のエネルギーをどんどん取られ、仕事はおろか、普段の生活すらままならないほど体調を崩してしまったのです。本当は頼ってきた霊を成仏させてあげられればよかったのですが、どうしたらいいのか私には何もわかりませんでした。

日本に帰ってきて、ある人から「霊が頼ってくるなら、お行をしたほうがいい」と勧められました。

それから水行をはじめて3カ月後には、体調は改善していきました。霊山を駆ける霊山行もはじめ、のちに坂東三十三観音霊場巡りや近畿三十六不動尊霊場巡りなどもするようになりました。