かつての日本では6月は梅雨で雨が続くため、結婚式の予約が入りづらかった。そこで欧米の「ジューンブライド」の伝統を持ち込んだのが、ホテルオークラの「伝説のホテルマン」と呼ばれる橋本保雄氏だ。どんな人物だったのか――。

※本稿は、永宮和『ホテルオークラに思いを託した男たち 大倉喜七郎と野田岩次郎未来につながる二人の約束』(日本能率協会マネジメントセンター)の一部を再編集したものです。

結婚式の指輪交換
写真=iStock.com/west
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「伝説のホテルマン」橋本保雄

大崎磐夫から少し遅れて入社してきたのが、開業後すぐに宴会課長を任された橋本保雄だった。大学卒業後に東京YMCA国際ホテル専門学校で学び、東京駿河台の山の上ホテルを経て開業準備中のオークラにやってきた。ホスピタリティビジネスの要は、いかに客のこころをつかむかという点にあるが、この「こころをつかむ」ということに人生を賭けたホテルマンが橋本だった。

力士のような立派な体格、ふくよかな顔にトレードマークのゲジゲジ眉毛。一目みたら忘れない容貌とは、橋本にこそふさわしい言葉だった。そしてそんな容貌もまた、ひとのこころをつかむための天賦ではなかったかと思える。快活で話術も巧み、とにかく会った相手を飽きさせない。2008年に逝去したが、いまも伝説のホテルマンとして語り継がれる存在である。

いまでは退潮気味だが、1980~90年代には主要ホテルがさかんに報道関係者を招いての懇親会をやっていた。メディアにホテルのことをとりあげてもらう機会を増やす目的と、ホテルでなにか問題があったときの広報面でのリスクマネジメントのためである。いまは一般メディアよりもSNSのインフルエンサー対策などに宣伝広報手法の比重はシフトしてしまっているが、とにかく90年代まではかなりの頻度で懇親会をやっていた。

巧みに報道関係者のこころをつかむ

そしてホテルオークラの報道関係者懇親会で一番目立っていたのが橋本だった。そのまわりにはいつも大勢の記者や編集者がいて、楽しそうに語らっていた。橋本の話術に引きよせられていたのだ。客のこころをつかむことに長けていたが、報道関係者のこころをつかむのもまた巧みだった。

名物ホテルマンだった橋本はまたたいへん筆まめでもあった。会社経営の舵取りに加わって多忙を極めるなかでも、『感動を与えるサービスの神髄』『共感を創る。』『接客術 人を惹きつける8つの力』『クレーム対応術』といった著作を多数出版している。それらはつまり「ひとのこころをつかむ」ための要諦を、ホテル業界だけでなくサービス産業全般にむけて伝える啓蒙の書である。語り口はどこか宗教家の説教に似たところがある。