ジューンブライドを日本に定着させた
橋本のことを「宴会の神さま」と呼んだひとたちがいる。新任社長のお披露目会、周年イベント、営業のインセンティブ(報奨)イベントなどの企業宴会、そして人生最大のイベントである結婚披露宴。そうした宴会を「食事と酒をふるまう場」から「いかに参加者を楽しませる場に変えるか」で知恵を絞ることを、橋本は社内で徹底した。
いまでは定番となっている結婚披露宴でのケーキカットや各テーブルへのキャンドルサービスも橋本が最初に考案したものだった。またジューンブライドを日本に定着させたのも彼の功績だった。
日本の6月は梅雨で雨つづきだから、昔は婚礼予約がまったく入らなかった。なんとか6月の宴会場稼働をあげる妙案はないかと考えていた橋本はある日、ヨーロッパに古くからある言い伝えを知る。それは「6月の花嫁は幸せになれる」というものだった。農作業の繁忙期となる春や秋を避けるために生まれたという説もあるが、その言い伝えがやがて欧米でジューンブライドとして定着していったのだ。
ジューンブライドの何たるかを得々と説く
宴会課の社員たちは、ジューンブライドの伝統を伝えつつ、ホテルであれば挙式も披露宴も屋内でおこなえて濡れる心配がまったくないこと、空調設備が完備していること、出席者の控え室も存分に確保できることなどを世間やカップルに伝えた。そして橋本は報道関係者を集めた場で、得意の弁舌でジューンブライドのなんたるかを得々と説き、メディアに世に広めてくれるよう頼みこむのである。
一方、企業宴会ではオークラはさまざまな演出やサプライズのプログラム化を進めた。オークラ最大の宴会場・平安の間には3カ所のせり舞台まで設置されていたから、来場者があっと驚く仕掛けをプログラムに入れることも可能だった。それまでの企業宴会といえば、何人かのあいさつのあとに「ごゆっくりお食事とお飲み物をお楽しみください」というだけの催しだったが、そこになにか「こころをつかむ」ものを入れこみたいというのが橋本の考えだった。
橋本保雄は宴会課長のあとは料飲部長、マーケティング部長を歴任し、89年に専務取締役、95年に副社長に就任し、99年に顧問に退いた。