明治維新の歴史的意義とは何か。経済評論家の上念司さんは「日本の伝統的な価値観を守りながら、時代に合わせて必要な改革を進めたことだ。この明らかに矛盾したミッションを成功させるには、天皇という存在が不可欠だった」という――。

※本稿は、上念司『保守の本懐』(扶桑社)の一部を再編集したものです。

明治天皇の肖像
明治天皇の肖像(画像=Uchida Kuichi/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

軍事政権からの「民主化」だった

明治維新による社会の変化は「革命」と言っていいぐらいの大きなものでした。身分制度はなくなり、年貢は地租に変わり、憲法が制定され議会もできて選挙も行われるようになったからです。

江戸時代は言ってみれば徳川家と大名が連合した軍事政権であり、一定の身分がなければ政治には参加できませんでした。また、身分は基本的に世襲であり、生まれた瞬間に将来その人がどのような職業に就くのかもほぼ決まっていました。

もし、フェートン号事件から安政の開国に至る外圧がなければ、江戸時代はもっと長く続いていたことでしょう。しかし、世界はそれを許さなかった。日本は欧米列強との国交を開かざるを得ない圧力を受け、不平等条約を飲まざるを得ない状態に追い込まれたのです。

日本の遅れに気付いた改革派vs守旧派

なぜ欧米列強に勝てなかったのか? 理由は簡単です。まずは軍事力の差。そして、その差をもたらす科学技術が最大の問題でした。

私有財産制度が確立していない国ではイノベーションは起こりません。古代中国は羅針盤を発明しても、大航海時代はこなかった。同じことが封建時代の日本にも言えるわけです。

明治維新の原動力となった下級武士たちはこのことにいち早く気付き、社会改革の必要性を訴えました。しかし、当時の徳川幕府はこれをたびたび弾圧しました。

改革派は同盟を組んで戦い、大政奉還から最後は戊辰戦争という暴力によって守旧派を粛清。明治新政府が立ち上がったわけです。このあたりの歴史についてはこれだけで本が何冊も書けてしまうので省略します。