600石の旗本から9代将軍・家重の側近に成り上がった意次
前述したように享保19年(1734)12月に意行が亡くなったため、翌年、意次が家督を継承します。意次は元文2年(1737)に従五位下に叙されていますが、目覚ましい出世の契機となったのが、吉宗が引退しその嫡子・家重が9代将軍に就任したことでした(延享2年、1745年)。意次は将軍世子の小姓ではなく、将軍の小姓となったのです。
もちろん、家重の小姓となっていたのは意次だけではありません。吉宗は紀州藩士の子弟を家重の小姓として数人配置していました。意次はその中から、小姓の頭・小姓頭取に昇進(1746年)するのです。延享4年(1747)には御用取次見習、寛延元年(1748)には小姓組番頭、宝暦元年(1751)、御用取次に累進していく意次。御用取次とは吉宗の時代に設けられた役職で、将軍に近侍し、将軍と老中の取次役となりました。
「意次は正直者なので、今後も引き立てて召し使えよ」
将軍・家重の側近となった意次ですが、重用してくれた将軍が引退するとお役御免となるのが普通です。5代将軍・徳川綱吉に仕えた側用人・柳沢吉保然り、6代将軍・徳川家宣の侍講・新井白石然り。ところが意次の場合、そうはなりませんでした。
ここから先は無料会員限定です。
無料会員登録で今すぐ全文が読めます。
プレジデントオンライン無料会員の4つの特典
- 30秒で世の中の話題と動きがチェックできる限定メルマガ配信
- 約5万本の無料会員記事が閲覧可能
- 記事を印刷して資料やアーカイブとして利用可能
- 記事をブックマーク可能

