NHK大河『べらぼう』序盤の舞台は吉原だ。芸能界一の大河フリーク・松村邦洋さんは「劇中で田沼意次と蔦重との会話で出てきたように、料金の安いライバルが江戸中でいくつも登場して、かなりヤバい状況だったようだ」という――。

※本稿は、松村邦洋『松村邦洋懲りずに「べらぼう」を語る』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

深川、根津、赤坂…吉原より安い「岡場所」

大河『べらぼう』の序盤の舞台になっている吉原。江戸でただ一つのお上公認の遊郭ですが、劇中でも田沼意次と蔦重との会話で出てきたように、この頃は料金の安いライバルが江戸中でいくつも出てきていて、かなりヤバい状況だったようです。

それが「岡場所」と「宿場町」でした。岡場所というのはもちろん非公認。取締りの対象になるはずなんですが、そこはお上の差配でして、取り締まるフリをしながら黙認して、その代わりにショバ代はちゃんと巻き上げてたんです。

岡場所で一番有名だったのは深川です。深川の料亭とか芸者さんは有名ですけど、今の富岡八幡宮から永代橋の間に仲町、新地、石場、櫓下やぐらした裾継すそつぎ、土橋、佃という「深川七場所」がありました。

当時の深川は運河や水路が張り巡らされてましたから、お客さんは舟で行き来するんです。妓楼じゃなくて料亭に入って遊女と飲み食いして、で、そこの奥座敷でナニするわけです。吉原だと引手茶屋がやっていた遊女の手配は、舟の船頭さんがやっていました。

当時の深川の様子。大小さまざまな船が浮かんでいる。
当時の深川の様子。大小さまざまな舟が浮かんでいる。「浮繪江戸深川新大橋中須之圖うきええどふかがわしんおおはしなかずのず)」(歌川豊春筆・18世紀)(出典=Colbase

江戸時代、人が集まる場所といえば寺や神社の門前です。「岡場第一の遊里」と言われた根津は、今の文京区にある根津神社の門前、今の池之端から不忍通り沿いです。徳川家の菩提寺・寛永寺の門前に遊女たちが集まったのが上野山下です。現在のJR上野駅構内から駅前広場近辺だそうですよ。

文京区音羽にある護国寺も、今は講談社があるハイソな住宅地ですけど同じ岡場所でした。港区の赤坂に溜池山王っていう駅がありますが、あそこには昔、本当に溜池があって当時はホタルで有名だったそうですね。その溜池の周りがそうだったんです。