見たことのない「異形の総理大臣」
田中の実像は、昭和天皇との関係にもあらわれている。
田中は首相在任中も、天皇に対してはとくべつな感情を示していない。吉田茂や佐藤栄作とは違い、〈臣角栄〉という感情はほとんどもっていなかったように思える。それはなぜだったのか。実はこれは田中論を記していくときのもっとも重要なテーマになる。
私見をいうなら、それは田中と同年代の者がもつ感情と必ずしも一体化していないし、田中自身の独自の人生観から発せられているのではないかと思われるのだ。
天皇は田中首相が自らの政策内容を克明に語り続けた内奏(天皇への非公式の報告)に接して、昭和に入って出会ったこれまでの25人の首相とは異なる「異形<の総理大臣」を初めて見たと思ったのではないか、と私は思う。
昭和天皇の質問に対して、角栄は…
これをもうすこし踏みこんでいくなら、無作為の国体破壊者の姿を垣間見たと思ったのではないか。この場合の「無作為の」というのは、たとえば「天皇制打倒」を唱える社会主義者を作為的とするなら、田中はまったくの無作為という意味である。
新しい憲法のもとで、天皇に課せられている政治的役割はきわめて微妙なのだが、田中はそれにまったく気をつかわずに自分の思う方法で、そして自分なりのルールで天皇の前にでていたのである。
私は元宮内庁長官の宇佐美毅から、昭和天皇への内奏について話を聞いたことがある。宇佐美は昭和28年から24年間にわたってそのポストにあり、天皇の信頼を得て引退していた。
田中内閣のときに、ニクソンショックがあったが、そういう折に内奏した田中に対して、天皇は、たとえば「1ドル、360円で大丈夫かな」と質問をする。この質問に対する答えは、政府が現下の情勢にどのような策を考えているか、あるいは外国との関係や国内経済に対する姿勢、いわば通貨政策に関する政府の包括的な姿勢を二言か三言で返すだけでいい。
天皇も実はそういう答えを求めているというのである。それ以上になると天皇が政治に関与しているとの批判もでてくる。