京都で舞妓さんを撮影するようなもの?

実際、筆者は、よく子どもの顔をSNSに載せている知人にこの点について聞いてみたが、「別に平気。だって私の友だちしか見ていないから。顔を載せなかったら、SNSに載せても意味がない」という返事しか返ってこなかった。

だが、日本人の子どもの登下校風景は、もっと多くの人が目にするウェイボーや抖音にまで平気で載せている。しかも、住所が書いてある電柱や小学校の名前まではっきりと映っているものもある。

それについても「なぜ、やってはいけないのか」という意識は全然なく「遠い外国にいる子どもだし、かわいいからいいのでは?」「褒めているんだよ」「そこだけ隠すのはかえって変」とすら思っているようだ。日本人の意識、感覚からすると、到底信じられず、「気持ち悪い」「ストーカーだ」「わざとやっているのでは?」としか思えないのだが、彼らには「子どものあとを付け回している」といった意識はなく、単純に「ほのぼのする風景」「多くの中国人に見せたい日本ならではの風景」と思っている。

この日本人と中国人のプライバシー意識の違い、考えていることの温度差に愕然とさせられるのだが、これは、外国人観光客が京都の祇園で舞妓さんや芸妓さんを付け回して、背後からだけでなく、前からも撮影しようとする問題とも共通していると感じる。

街路を歩く舞妓
写真=iStock.com/xavierarnau
※写真はイメージです

「プライバシー無視」で驚いた中国人の行動

彼らは日本にしかない「珍百景」を写真に撮ってSNSでただ自慢したいという気持ちが強く、舞妓さんや芸妓さんを危険な目に遭わせたい、困らせたいと考えているわけではないだろう。自分たちの軽い気持ちが、いかに相手に迷惑をかける行為、非常識な行為であるか、ということにまったく気づいていない。

もうひとつ、プライバシーという観点でいえば、中国人のSNSを見ていて、いつも疑問に感じることの一つは、誰かとのメッセージのやりとりをスクリーンショットにとり、自分のSNSで第三者に披露していることだ。さすがに相手の名前(あるいはアイコン)は隠していることが多いが、メッセージのやりとり(文章)はそのままで、場合によっては、誰との会話かわかってしまうときがある。

実は筆者自身も、その対象となっているのを偶然見かけたことがあるが、内容は悪い話ではなく、「日本人との間でこういうことがあったよ」と誰かに言いたいだけだった。だが、個人間のメッセージのやりとりを第三者にわざわざ披露する意味がわからない、といつも感じている(そのため、筆者は、彼らとのメッセージのやりとりが誰かに転送されるかもしれない、という意識を常に持っている)。