相手の目を見て、頭を下げて、続けた挨拶
板頭は「これが現実か、指導は難しいと感じた」。だが、彼は生徒たちに挨拶をすることだけは続けた。
「挨拶だけは自信を持って教えられると思いました。ただ挨拶をするのではなく、どんな挨拶をすれば相手が一番気持ちいいか。挨拶を返してくれなくてもいいんです。相手に『今日も頑張ろう』と気持ちよく思わせるのが挨拶なので。
見本を示すために、毎朝、通りかかる生徒たちに挨拶をしました。相手の目を見て、頭を下げ、気持ちを込めて語尾まではっきり発音する。それは指導員をやった3年間、続けました」
なんだ、たかが挨拶じゃないかとわたしたちは思う。しかし、肝心なのは「相手を見て行う。相手を元気な気分にすることを目的としたこと」だ。
彼が生徒に教えたいと思ったのは、挨拶をただ発声するのではなく、相手を見ることだった。
板頭は相手を見ること、職場で後工程の人を考えること、ひいてはユーザーの立場に立つことを教えた。これはトヨタの教育の根本だ。
「もっといいクルマを作ろう」の解答はユーザーを見ることから始まる。
板頭は在任中、生徒たちから好かれていないと感じていた。しかし、卒業式の際、担任したクラスの生徒が寄せ書きをくれた。
「卒業後は自分たちの職場仲間になる」からこそ
板頭は自分が生徒たちを誤解していたことを知った。生徒は板頭を嫌っていたわけではなかったのである。考えてみれば、毎朝、ひとりひとりの顔を見ながら、挨拶するおじさんを嫌う理由はない。
板頭は教員生活を終えて職場に戻った後、トヨタイムズの記者に、こんな感想を述べている。
「教え子たちが、卒業後は自分たちの職場仲間になることが分かっている。だからこそ、一般的な学校よりも深い愛情を注げるのかもしれません」
また、板頭の上司にあたる鋳造部の酒井雅浩シニアエキスパートは「学園に異動して指導員を経験したことで、板頭が成長したと感じる」と言っている。
人が教師になった場合、教わる生徒の何倍も勉強しなくてはならない。板頭はトヨタの職場にいた時よりも人に教えるために勉強した。板頭自身は「挨拶が伝わった」と言っているが、本当は彼の授業が質の高いものだったから、生徒は板頭に感謝したのだろう。
挨拶に効果がなかったとは言わないが、授業の質が良くない教師を生徒が評価するはずがない。板頭は生徒を見ながら、生徒が理解するような授業をやっていたはずだ。十分な準備をしたうえで、情熱をこめて授業をしたと思われる。板頭はトヨタの職場で学んだ経験をそのまま生徒に伝えた。それが生徒の心に届いた。生徒は身に染みて理解した。