「袴田さんの死刑執行を命じられたらボイコットします」
一般に現場で勤務している刑務官は、拘置所特有の重要服務である身柄の確保(逃走させない。自殺させない。心身の健康を損ねない)の為に淡々と勤務に服している。したがって、死刑確定者の冤罪問題については、興味があっても触れないようにしているのか、話題になることはほとんどない。ただ、警備隊の職員だけは別だ。警備隊という組織には「死刑の執行に関する業務」という特命の仕事があるからだ。
毎日顔を合わせている死刑確定者に死刑の執行命令が発せられたときは、死刑執行の任に当たらなければならない。彼らから見て極悪非道な犯罪者であっても、そのほとんどは命で償う自覚ができているのか、顔見知りになっている警備隊職員の指示に従い刑場に入る。
警備隊職員には、首にロープを掛けたり、死刑執行後に、吊り下げられた遺体のロープを外し、ストレッチャーの上に寝かせて清拭して納棺するなどの一連の流れをマニュアル通り支障なく務めることが求められる。
日頃の厳しい訓練と強いメンタルの醸成によって、合法的な殺人という極めて困難な業務を遂行している彼らだが、無実の人間を殺すことだけは、したくないというのが本音であろう。
警備隊の若い刑務官は、袴田さんや他の死刑確定者の日常の変化や心の動きなどを伝えてくれた。ときどき冗談っぽく、「袴田さんの死刑執行を命じられたら、ボイコットするでしょうね。もちろんクビ覚悟で……」と言うこともあった。
警備隊員だけでなく、袴田さんと接する刑務官の多くから、「死刑の執行はないでしょうね」という確認とも質問ともとれる言葉を度々投げかけられた。今振り返れば、当時の警備隊職員はじめ、処遇現場の刑務官たちは、袴田さんの無実を信じていた。そして国家公務員法上、守秘義務や上司からの指示命令に対する服従義務といった束縛の中で、可能な抵抗はなんであるかと考え、袴田さんに関することについては「無言」を通すという形をとっていたのではないかと、思い至った。