ジェンダー先進国でも少子化が進んでいる
ところで、子育て支援や少子化対策でなんとなく私たちが「お手本」と思っている北欧の国でも、なんと少子化が進んでいるらしい。フィンランドの合計特殊出生率は、2023年の速報統計で1.26。日本の2022年と同じ数値である。
ジェンダー平等が世界的に見ても進んでいて、男性の家事育児参加率が高く、子育て支援政策が充実している国でも、子供を産もうと思う人は減っている。
これに対して、「ジェンダー平等とか子育て支援とか意味ないじゃん」と言ってしまうのは乱暴だし、これらには絶対に力を入れるべきだ。
しかし、この結果を見て私は次のように考えた。
「ジェンダー平等が進むほど、女性が子供を産まない選択も尊重されるようになり、やっぱり少子化になるのではないか?」
どんなに医療が発達しても、妊娠・出産に伴う体の変化や苦痛を全く経験せずに子供を誕生させることは、今のところ不可能だ。どうしたって人間の女性の胎内で新しい人間を育てて、外に出す必要がある。
その一連の流れは、普段保証されている体や心の自由を制限する要素を含んでいる。
妊娠・出産を押し付ける社会は選びたくない
「妊娠・出産は人間の尊厳が失われるようなことの連続だ」と子供を産んだ女友達が言っいた。子供を産むという行為は、どうしても女の人権を制限し、女の生命を危険に晒すことから逃れられないのだ。
この点に疑問を抱き、立ち止まるということは、高い人権意識やジェンダー平等意識の表れとも言えるのではないか。
そう考えると、少子化は本当に悪いことなのか? と疑問に思えてくる。
子供を産み育てている人たちが無責任だとか、人権やジェンダー平等への意識が低いとか思っているわけでは決してない。子供が少なくなれば、将来の生産人口が減って社会を維持できなくなり、困るのは老後の自分たちでもあるということも分かっている。
しかし、私の「子供を産まない理由」がなかったことにされて、女に生まれたのだから子供を産まなければならないのだ、と妊娠・出産を押し付けられる社会と、少子化によってさまざまなインフラが維持できなくなる社会と、どちらかしか選べないと言われたら、正直後者を選びたい。
それが利己的かと言われたらそうなのかもしれないが、そもそも、集団を維持するために自己を犠牲にすることと人権は、相性が悪い。