松下政経塾出身の女性政治家「第1号」
高市氏は、奈良県南部の名門・県立畝傍高校の出身だ。神武天皇創業の地に近く、復古的デザインによる名建築といわれる校舎で知られる。大学は神戸大学経営学部である。
高市氏の政治家としての原点は松下政経塾だ。第5期生で、2人の女性の先輩がいたが、彼女たちは政治家にならなかったので第1号ということになる。
といっても、はじめから政界に出ようなどという気はなかったという。だが、松下幸之助から「将来、政界へ打って出る気概がない者は、早めに退塾すべきだ」というような話を聞いて、政治を志そうかという気分になる。
松下政経塾の歴史については、私は『松下政経塾が日本をダメにした』(幻冬舎)という書籍にまとめたことがある。そこでも紹介したが、卒塾生の政界進出はなかなか進まなかった。
もともと地盤があった逢沢一郎氏などを別にすると、山田宏氏や松原仁氏が都議会議員選挙に立候補したのが皮切りとなり、高市氏も応援にかり出された。1987年に野田佳彦氏が千葉県議選にチャレンジした際は、数カ月にわたり住み込みで応援に当たったそうだ。
自民党公認のはずが、無所属で挑み落選
その後、米国に渡って、パット・シュローダーという民主党リベラル派の下院議員のスタッフとして研鑽を積み、帰国後はこの経歴を武器に「朝まで生テレビ」などテレビの世界に進出した。蓮舫氏と同じ番組に出ていた時代もある。
学生時代からこのころまでの高市は、皮のつなぎを着てオートバイで奈良県から神戸へ通学し、ドラムを叩き、自由に恋愛を楽しむといった風情だった。
思想的には松下政経塾の卒塾生と共通点が多い。松下幸之助が持っていた改革指向と愛国者という2つの側面を継承し、現在も変わりはない。松下幸之助は親中国路線の代表格みたいな存在だったのに、なぜか卒塾生は中国に対して強硬論者が多いのだが、高市氏もそうだ。
「朝まで生テレビ」などでの活躍に着目した自民党本部から、1992年の参院選に奈良県選挙区から出ないかという誘いがあった。しかし、自民党の奈良県連はすったもんだの騒ぎのすえに別の候補を推したので、高市氏は無所属で立候補することになり落選した。