「望月」にかけられた2つの言葉遊び

平安文学の研究者、山本淳子氏の解釈では次のようになる。「我が世」は「世」を「夜」にかけたもので、また、「我が世の春」といった人生最高の時の表現だという。

続いて「望月」以下だが、この日は16日で十五夜ではない。月はわずかに欠けているが「月は欠けたが欠けていない」といった機知を詠むのが和歌の真骨頂だという。では、どう欠けていないのか。

道長はこの歌を詠む直前、実資に、若い頼通に盃を勧めてくれるように頼み、結果、5人の公卿たちのあいだで次々に注がれた。道長はこうして頼通を中心に、5人のあいだで欠けることなく酒が注がれ、結束の強さが表されたことを、「欠けたる事も無し」と詠んだというのだ。また、文学では后はしばしば月にたとえられてきたという。道長は威子を中宮にし、自分の3人の娘で后の席を満席にしたのだから、まさに満月。

要するに、欠けていない「月」とは「盃」と「后」のシャレだという(『道長ものがたり』朝日選書)。

酒の入った盃をかかげもつ女性の手元
写真=iStock.com/joka2000
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そうであれば、この歌を道長、ひいては藤原氏が驕り高ぶっていた象徴だとするのは、いささか行き過ぎということになる。むしろ、浮かれて、よろこんで、しゃれっ気を発揮している、少しかわいいくらいの道長像が浮かび上がると思うのだが。

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