世界遺産登録は「観光客の締め出し」
「世界遺産『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群を核とした文化観光推進地域計画」という報告書(文化庁)では、2017年に登録された、福岡県宗像市・福津市の世界遺産の構成資産についてこのように記している。
そもそも、「神宿る島」たる沖ノ島は、年1回の祭礼時には一般の人も島に渡れたのが、世界遺産登録と同時に一切上陸できなくなった。「世界遺産は観光地のお墨付き」どころか、「世界遺産は観光客の締め出し」となっている典型例なのである。
観光のための「世界遺産」は割に合わない
世界遺産そのものはたしかに素晴らしい。法隆寺の木造建築群や極楽浄土を再現した宇治・平等院鳳凰堂は、説明なしにその普遍的な価値が伝わってくる。しかし、近年世界遺産に登録される物件は、この宗像・沖ノ島関連遺産群もそうだが、登録された背景などを知らないとその価値が伝わらない。そして訪れた本人ももう一度来たいとなかなか思えないし、知人にも訪問を勧めようとはしない。
登録直後はメディアが大きく取り上げるし、地元の自治体も登録を寿ぎ、様々なイベントを開いたり、関連グッズを開発したりして話題を提供する。しかし、翌年には別の場所の世界遺産が登録され、全国的なマスメディアの関心は薄れる。
そして、一見して単なる河原の草っぱらにしか見えない佐賀県の「三重津海軍所跡」(「明治日本の産業革命遺産」の構成資産)やこぢんまりとした貝塚があるだけの青森県の「田小屋野貝塚」(「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産)は、限られた人が足を運ぶだけで、一般的な観光地にはなりにくい。
世界遺産登録には、観光振興以外に地域住民が郷土の文化の価値に気づくとか、それによって郷土に誇りを持つようになるなど、副次的な効果がいくつもあり、それこそが世界遺産に登録される大切な意義ではある。しかし、少なくとも観光振興の面から見て、登録までの膨大な手間と費用を考えれば、割に合わないと思う人がいてもおかしくないだろう。