責任者であるプロデューサーは、何をしていたのか

そこで生じるのが、「プロデューサーの責任論……プロデューサーは何をしていたのか?」という疑問である。この点において私が指摘したいのは、上記4つの遂行や調整、修正のすべてをおこなうのは、プロデューサーであるという事実だ。

原作や脚本は、著作権という知的財産権に守られている。ドラマでこの権利を行使する場合、契約を交わすのは「テレビ局⇔原作者」「テレビ局⇔脚本家」という図式の両者間である。そのため、著作権に向き合うのは局の社員プロデューサーでなければならない。まずこの作業が生じる。そのうえで、局の社員プロデューサーは、「原作」と「脚本」を守らなければならない。それはこの2つを使って仕事をしている立場だからだ。

局員の場合、基本的には土日が休みの「週休二日制」であるが、休めることは少ない。連続ドラマの収録が始まってしまうと予算削減のためにぶっ続けで撮影をしなければならないので、撮影現場の立ち会いをすると土日はつぶれる。規則で振休を取らなければならないのだが、休みの日にも電話がかかってきたりメールが来たりしてその対応に追われる。

そうなると、自然とプライベートの時間はあってないようなものになってくる。問題やトラブルが起こるとより多くの時間を取られる。たくさんいるスタッフを「衛星」にたとえるならば、プロデューサーはその中心に位置する「惑星」のようなものである。すべての衛星とコミュニケーションを取り、それぞれのことを知り、理解し、すべての状況を把握していなければならない。

図表=筆者作成
プロデューサーとスタッフの関係性。

よほどの「覚悟」と「力量」がないと映像化は無理

それらの作業に割く時間は無限大に必要だ。あってもありすぎること、余ることはない。スタッフケアには限りがないのである。

これまでに述べたようなことが基本的にあり、さらにプロデューサーは「原作モノ」のドラマを映像化するために、前述した4つを完璧に遂行、もしくは修正・調整しなければならない。その作業は無限大にある。当然、忙殺されることになる。

原作者側から厳しい要求が来るとその対応にも時間と手間を取られる。私がドラマ「二つの祖国」を制作した際には、原作者の山崎豊子氏は亡くなっていたが、生前には主役のイメージや身長の高さにまで細かい要望が出されていたと聞く。

このように「原作モノ」をやるには、プロデューサーによほどの「覚悟」と「力量」がないと無理だと言っても、過言ではない。

手薄すぎる人材配置…これもテレビ局の収益化最優先の結果だ

今回の「セクシー田中さん」のプロデューサー陣は、CP(チーフ・プロデューサー)が1人、局Pが1人、プロダクションPが1人。少なすぎる……。これでは、作業を遂行するのがやっとで、原作者や脚本家との細かな意思疎通、ケアがどれだけできていたのかと疑問を抱かずにはいられない。マネタイズ、人材不足、Pもテレビ局の構造的欠陥の「被害者」なのではないかと思えてくる。