「ボーイングを訴えましょう」
役員室や社長室は最上階の8階にあった。眼下で街路樹が木枯らしに揺れているのが、窓越しに見える。
向こうの灰色のビルの屋上では、いくつもの落ち葉が小さな竜巻に飲まれたかのようにグルグルと回っていた。
お茶を運んできた女性秘書が出ていった。社長室にいるのは松尾と高木の2人だけだった。最初、松尾は高木の大きな机の前に立って話していたが、高木にソファーに座るよう勧められ、そこに腰を下ろした。
応接セットのテーブルの上には2つの湯呑み茶碗のほか、ガラスの灰皿と煙草を入れた木製のケースが載っていた。
松尾は日航の自分の事故調査で新たに判明したことを報告した後、少し大きな声で「ボーイングを訴えましょう」と進言した。思い切った発言だった。
ボーイング社に非があることは十分に理解していた
しかし……、松尾のその進言を聞いた高木は黙ってうなずくだけだった。聞き置くといった感じだった。
うなずいた後、高木は煙草に火を点けて一度煙を深く吸い込み、そして紫煙をくゆらせながら天井をじっと見ていた。
松尾は後になって「もう少し強くお願いすべきだった。担当の専務や上の役員たちにも具申すべきだったかもしれない」と反省したが、松尾の進言を否定せずに聞き置いた高木は、松尾と同じ思いを持っていたのだろう。
松尾を信頼して墜落事故の原因調査を任せた高木だ。
これまでの松尾の報告からボーイング社に非があることは十分に理解していたはずである。
高木には自分の信じる道を貫こうとする強い信念があった。寡黙だが、しっかりとした考えの持ち主で日航社内での評価は高かった。
戦後日本の航空業界のなかで半官半民の日航を世界的な航空会社に育て上げてきた1人だ。歴代の日航社長のなかで初めて社内から社長に就いた人物である。
学生時代には治安維持法違反の罪に問われ、自ら京都帝国大学文学部哲学科を中退し、東京帝国大学法学部に入学し直すという苦労もしている。
松尾はそんな高木を尊敬していた。だから進言まで行ったのである。