チームづくりの方針を変えるきっかけとなった“ある後悔”

また、このことの裏を返せば、2012年までの大阪桐蔭は、チームとしては粗削りではあったものの、個々の選手のタレント性が強かったともいえる。

その時代にプレーした中村剛也や西岡剛、平田良介、中田翔、浅村栄斗ひでと(現・東北楽天ゴールデンイーグルス)、藤浪晋太郎、森友哉といった卒業生は、プロ野球でもタイトルを獲得し、チームの主力としていまも活躍する。特に2012年はチームとしても勝てて、個としても強い理想的なチームだった。

特徴的なのは、いま名前を挙げた選手達は、プレッシャーのかかる短期決戦で高いパフォーマンスを残していることだ。特に、これまでの国際大会や日米野球を通して見てみると、高校野球で結果を残した大阪桐蔭出身の選手は、優れた成績を残している選手が多い。

一方、森以降、大阪桐蔭の卒業生でプロで活躍している選手はいないに等しい。これは、育成や戦い方をはじめ起用の方針が変わったからだろう。

夏に優勝を果たした2014年の世代には、香月かつき一也(現オリックス・バファローズ)・正随しょうずい優弥(元・広島東洋カープ)・福田光輝こうき(現・北海道日本ハムファイターズ)がいたが、プロ入り後はレギュラー獲得までには至っていない。

また、「最強世代」と呼ばれた2018年は、二刀流の根尾昂や藤原恭大、柿木蓮、横川凱といった選手を擁し、春連覇と春夏連覇を達成。しかし、この世代もプロ野球で活躍している選手は2024年4月時点でいまだ台頭してきていない。

これは、チームとしての勝ちを優先するか、選手の将来を優先するかで、チームビルディングや育成方針が変わってくるためであろう。実際、平田や辻内崇伸たかのぶ(元・読売ジャイアンツ)、中田などプロ入りした選手が複数人いた2005年のチームにはタレント性はあったが、優勝は逃している。

またそれ以前では中村や岩田稔(元・阪神タイガース)がいた2001年も結果を残すことができず、西谷氏は「あの時の夏の大会を勝たせてやれなかったのが、今までの中で一番の後悔として残っています。みんな一番練習したくらいの学年で大阪大会の決勝戦では0対5から最終回に追いついて、延長にもつれ込んだ試合でした。それなのに最後は競り負けた。監督として、なんと力がないのか。これだけ子供たちが頑張っているのに、導いてやれない監督の力不足を痛感しました(※3)」と話している。

ゴジキ(@godziki_55)『甲子園強豪校の監督術』(小学館クリエイティブ)
ゴジキ(@godziki_55)『甲子園強豪校の監督術』(小学館クリエイティブ)

こうした実力のある選手達を優勝させることができなかった後悔が、大阪桐蔭の隙のないチームビルディングや戦略の礎になっていることは確かであろう。その積み重ねが、2013年以降の結果や選手育成、戦略の洗練具合に繋がったのだろうが、その影響か野手も投手も似たような選手が増えてきた。

具体的に、2021年以降の選手達の打撃フォームは、足の上げ方やボールの見送り方まで同じようになり、投手には、外角に精度の高い球を投げ切れるまとまりのある選手が増え、辻内や藤浪のような粗削りな本格派の選手は減っていった。

「完成されているなんてことはありません。僕らの目標は甲子園で勝つことであってプロ野球選手を育てることではない。もちろん、プロを目指している子の結果(進路)がプロになればいい。それだけです(※4)」と西谷氏も話すように、あくまでも2013年以降の大阪桐蔭は甲子園で優勝することが第一目標であり、プロ野球での活躍はその先の進路の一つにすぎないと考えていることがわかる。

※3 「森 友哉、中村 剛也らプロの世界で活躍する大阪桐蔭OB 若手選手も続くことが出来るか」高校野球ドットコム、2023年5月29日
※4 「大阪桐蔭に異変『なぜドラフトで指名されない?』西谷浩一監督が直球質問に答えた
NEWS ポストセブン、2022年11月8日

【関連記事】
【第1回】岩手県からメジャートップ大谷翔平を育て上げた花巻東監督が「野球部から東大合格者」輩出できた納得の理由
日本一の翌年に大失速…工藤公康がホークス監督2年目で痛感した「私のやり方でやってください」の限界
「夏の甲子園」を札幌ドームで開催するしかない…「日ハムがいない」と恨む前に大赤字の運営会社がやるべきこと
選手年収は80万円、プロ野球の2軍にも入れない…ホリエモンが画策する「独立リーグで高給取りになる」唯一の方法
「かつては東大卒よりも価値があった」47都道府県に必ずある"超名門"公立高校の全一覧