かつて桑田・清原のKKコンビを擁して全国制覇したPL学園。長くその強さを甲子園で見せつけてきたが、2000年代以降に急失速し、2016年に休部に追い込まれた。野球評論家のゴジキさんは「PLに代わって一気に台頭したのが大阪桐蔭です。両校の違いは、部員が暮らす寮生活や先輩後輩の上下関係などにあり、桐蔭はいい人材を獲得できた」という――。
※本稿は、ゴジキ(@godziki_55)『甲子園強豪校の監督術』(小学館クリエイティブ)の一部を再編集したものです。
没落したPL学園、勃興した大阪桐蔭…その差はどこにあったのか
1998年から現在まで大阪桐蔭の指揮を執る西谷浩一氏は、寮生活において比較的柔軟な方針を採っている。
かつてのPL学園とは異なり、寮の部屋のメンバー構成は先輩と後輩ではなく同学年で配置したり、付き人制度を廃止することで先輩の洗濯物を干したりといった必要以上の雑用に後輩が追われることはない。
また、先輩後輩の上下関係の壁をなくし、コミュニケーションを取れるような雰囲気があると、OBの廣畑実や水本弦もコメントしている※1。
その結果、2000年代以降、多くの有望な中学生が、PL学園ではなく大阪桐蔭を選ぶようになり、戦績は2000年代中盤から逆転。大阪桐蔭は、2008年夏の甲子園優勝以降、2014年には1985年のKKコンビを擁したPL学園以来25年ぶりの3年連続夏の大阪大会制覇を成し遂げ、2012年と2018年の春夏連覇、2017年から2018年の春連覇を達成し、PL学園に代わる強豪校として全国に名を轟かせてきた。
PL学園は2000年代以降、幾度となく暴力行為などの不祥事が取りざたされ、入部志望者が激減。2016年には休部に追い込まれている。PL学園はいわば、大阪という同じ地区の「競合他社」である大阪桐蔭にリクルーティングで負けて、強豪校の座を失ってしまったのである。