協力関係や信頼関係が醸成され切磋琢磨できる

「勝ち組・負け組」などという、弱者切り捨てにつながる格差的な言葉がふつうに使われるようになって20年以上が経ちます。

働いた人が働いた分だけ評価を得られるのはよいことです。しかし勝ち負けを意識するあまり、今までは協力関係にあった者同士がライバルとなって足を引っ張り合うようになっては本末転倒です。

腕を組んで向かい合う二人のビジネスパーソン
写真=iStock.com/baona
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自分の持っている情報を抱え込んで、周囲に協力を求められない雰囲気が蔓延すれば、仕事がうまく進まなくなり、それはとても残念なことです。企業にとっても大きな不利益です。

やりたい仕事が同僚とかち合ったら、私はこの場合もゆずる気持ちが大切だと思います。「キミがやるといいよ。頑張りなよ」と、気持ちよく同僚に仕事をゆずるのです。

そしてもし、その仕事で相手が困っていれば、手を貸してあげるのです。そんなところから、協力関係や信頼関係が醸成されます。

そうすれば、次に同じような機会があったとき、相手は「この間はゆずってもらったから、今回はどうぞ」と言ってくれるでしょう。

お互いに競い合い、助け合いながら共に成長していくことを「切磋琢磨」といいます。中国の『詩経』の「切るが如く、みがくが如く、つが如く、ぐが如し」という一節からきた言葉といわれています。

「切磋琢磨」から、私は畑で採れたジャガイモを思い出します。

泥のついたジャガイモをバケツの中に入れてガラガラとかき回すと、お互いにぶつかり合って泥が落ちてきれいになります。自分だけでなく、共にきれいになっていく関係――これが、「ゆずると皆が気持ちよく、明るくなる」ということだと思います。

“盛る”という行為は「自我」のあらわれ

「私が、私が」ではなく「皆が、皆が」――「欲」に翻弄されないための極意

「○○さんは、あの有名レストランで食事をしたんだ!」
「△△さんは、温泉旅行を楽しんでいるんだ!」

知人や著名人の“リア充”をアピールするSNS投稿を見ると、うらやましくなったり、今の自分に不満を感じることがあるでしょう。

すると、ちょっぴり対抗意識がはたらいて、「私だって」と、自分のリア充ぶりを無理に演出し、いわゆる“盛って”SNSにアップするかもしれません。“盛る”という行為は「自我」のあらわれです。

自分自身の存在や考え方に執着する心を「自我」といいます。私は、情報社会が人々の自我の心を強くしていると感じています。

現在の情報社会に暮らしている私たちには、知らなくてもよい情報まで無意識のうちに入ってきます。その情報に感化されてしまうから、「私も、私も」と現実以上の自分を見せようとする気持ちが起こってしまいます。

自我は、仏教でいうところの「我欲」に通じています。我欲とは、他人のことを考えずに自分の利益ばかりを求める気持ち、自己中心の欲望のことです。「他人よりももっと」と固執して自分をよく見せようとすることも、我欲のひとつといえるでしょう。

もちろん、仏教では我欲を否定しています。自分だけが幸せになればよい、自分が幸せになるためには他者を犠牲にしてもかまわない、という欲深い心が良いわけはありません。

しかし、すべての欲を否定するわけではありません。欲とは、生きるために必要なものであり、生きる力になります。“リア充”投稿も、前向きに生きる力に変えることができるはずです。