定年後のザンネンな人の特徴

そして、自分が楽しめるもので共感を覚える仲間を見つけるのも、一つの生き方です。

肩書きや会社の力を気にせずに生きられるようになるのは、60代以降です。

60代までの人生では、会社組織の肩書きにとらわれた生き方をしている人も多いでしょう。「この人はあの大企業の部長なのか。大したものだ」「小さな会社の課長なら、自分のほうが上だ」などと、肩書きや会社名で他人と自分を比べて物ごとを捉える人も少なくありません。

でも、退職したらみんな一緒です。

仮に会社内で出世競争に勝ってきた人でも、役職定年を迎えた後は会社に残れなくなって系列の子会社へ出向する人も多くなります。ましてや定年退職後には、会社の肩書きはなくなるわけです。退職してから何年も経っているのに「○○会社の元部長です」なんて自己紹介していたら、ただのイタい人になってしまいます。

それは医者でも同じです。どんなに有名な大学の医学部教授になれたとしても、定年を迎えたら、その座はなくなってしまいます。名誉教授の名刺を見せる人がいますが、これもまたザンネンな感じがついついしてしまいます。

「他人の目の奴隷になるな」というアドラーの教え

退職後に何者でもない一人の人間になったとき、自分に残るものは何か。

50代以降はそこから始まる後半生を、楽しみながら味わい尽くせばいいのです。

コフートと同じように、他者との「共感」を重視したのが、『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)で一躍有名になった精神科医アルフレッド・アドラー(1870~1937)です。

アルフレッド・アドラー=1937年以前
写真=Photo12 via AFP/時事通信フォト
アルフレッド・アドラー=1937年以前

コフートが人間の弱さを肯定して、不安を感じている相手に寄り添おうとしたのに対し、人間の本質的な強さを信じたアドラーは、相手に困難を克服する力を与える「勇気づけ」を行いました。

このアドラーは、「仲間」についても興味深い説を唱えています。

アドラーは、私たちは「共同体感覚」の世界にいる限り、他人から嫌われる心配をしなくてもいいのだと主張したのです。

共同体感覚というのは日本では誤解されやすい言葉ですが、同調圧力の強いムラ社会に同調していく、という意味ではありません。むしろ、周りに合わせなければいけないとか、周りに迷惑をかけてはいけないというのは、アドラーによると「他人の目の奴隷になっている」ことになります。