「物価目標設定」ではデフレは止まらないと結論付けた

【門間】ところが、それを数字で示すとどういうことか、という日銀の話に近い領域になってくると、急にわけがわからなくなってくるわけですね。そこに至る前段階として、今の日銀法が施行された1998年くらいから、日本経済は「デフレに陥ったのではないか」という問題がちょうど起きてきました。デフレとは、物価の下落によって景気が悪化する状態です。1998年頃、日本では金融機関もたくさん倒産し、その後しばらく景気の悪い時期が続きました。

その際、物価が下がっていたので、「物価下落を日銀が止めてくれれば、日本経済は良くなるはずだ、物価に目標値を設定するなどして経済を良くしてほしい」という論調が盛り上がりました。そういう世間の論調を受けて日銀も、どうすれば日銀が持てる力で経済の回復に一番貢献できるのかをずいぶん考えたんですね。

その結果、答えは物価に目標値を設定することではない、という結論に日銀としてはなったんです。ちなみに、2000年には、日銀は「経済の発展と整合的な『物価の安定』の定義を特定の数値で示すことは困難である」という、当時の論調に半ば喧嘩を売るような文書も出しています。

門間一夫さん
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門間一夫さん

【後藤】数値だと、どうとでもなりますからね。

「物価だけ」に焦点を当てるのは危険

【門間】要は、数値で単純化することには問題もあるんですよ。当時の日銀には、物価の安定を数値で定義しちゃうと、その数値に引っ張られてかえって政策を間違いかねない、という心配がありました。そもそも実態とのズレもあるわけです。1%、2%などと具体的な数値を決めてしまうと、それ以外の数値の時には物価が安定していないことになってしまう。でも、それは違うだろうと。

ところが、ちょうどその少し前頃から、海外の経済学者や中央銀行の間で、「物価上昇2~3%ぐらいが経済にとって望ましい物価の安定だ」という議論が広まっていました。当時の日本は、物価が0%か若干マイナスだったので、「2%ぐらいの物価上昇を実現しないと日本の景気は良くならない」というやや単純化しすぎた議論が出てきちゃったんですね。

本当は「物価だけ」にそこまで焦点をあてるのは狭すぎて、幅広く日本経済の構造を変えていくという議論を深める必要があったのですけどね。