「海外が2%だった」から日本も2%になった

【門間】しかし、今言った一連の連鎖の中に、実際にはそれ以外の要素もいっぱい入ってくるんです。たとえば、海外で急に景気が悪くなるとします。その場合は、いかに日銀が金利を下げて国内の需要を増やそうと思っても、輸出という海外需要が減るので、全体として景気は良くならないかもしれません。

反対に今現在、日本で起きていることは、日銀が金利を全く下げていないのに、原油や穀物など海外からの輸入品の値段がどんどん上がっているので、皆さんの生活の回りでも物価の大幅な上昇が起きています。

今の物価高は日銀の政策、金利とは全く関係なく起きているわけですね。つまり、日銀が金利を上げ下げするということと、実際に物価が上がったり下がったりするということの間には、もともと非常に長い連鎖がある上に、他の要因も多く関わってくるので、実際にはかなり薄い関係しか残らないんです。

【後藤】「諸外国が2%目標を設定している」という理由以外で、日銀が2%に定めた論拠はなんだったんでしょうか。

【門間】海外が2%でなければ、「日銀も2%にせよ」という議論自体が盛り上がらなかったと思います。海外が2%ぐらいで、しかも日本より経済がうまくいっているように見えたので、「日本が低成長なのは物価が下がっているせいではないか、日銀も他国並みの2%物価目標を採用すべき」という議論が強まっていったんだと思います。最終的にはそういう議論があることも踏まえながら、日銀として対応したということです。

1000円、5000円、10000円紙幣のクローズアップ
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日銀は「2%」を採用したくなかった

ただ、日銀の本音としては、2%の物価目標はできれば採用したくありませんでした。物価の安定を単純に数値で語ることには問題もある、と先ほど言いましたよね。それ以外にも日本ならではの理由があって、それは1999年ぐらいから金利がもうほぼゼロになっていたからです。今度総裁になる植田さんが審議委員だった頃から、この25年近くずっとほぼゼロなわけですよ。ゼロということは、それ以上金利は下げられません。

いくら「物価を上げたい」と思っても、先ほどの「長い連鎖」の第一手である金利そのものを動かせないわけですから、日銀だけで物価を上げるのには当然限界があるわけです。もともと金利を下げる余地がないのだから、「2%を目指すと言ってもいったいどうやってやるんだ」というのが、日銀としてはずっと問題だったわけです。

【窪園】諸外国が2%とする中、日銀もこれに揃えたのは、門間さんが指摘したことに加えさせていただくと、仮に1%のままだと、海外に比べて目標が低いことが、為替市場で円高圧力を招く、と懸念されたこともあります。この点については、黒田前総裁が会見で、「海外より目標が低いと、それだけ円高圧力になる」と指摘していて、2%の妥当性を訴えていました。

【後藤】そもそも2012年2月には「1%」の目途に変更していますね。やっぱり2%という数値は、当時の日銀の中ではかなりハードルの高い設定だったんですか。

【門間】2%どころか1%だって思い切った決断だったんです。2012年2月に出した1%の「目途」は、それだって頑張ってもできるかどうか、というかなり必死の「目途」だったんです。

【後藤】その後、2012年11月に衆議院が解散し、12月に安倍政権が誕生して、2013年1月に安倍政権が2%を謳うようになったということですね。