子供を預ける仲間がいない都会

授業とその場所のいろいろ
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授業とその場所のいろいろ

こうした授業を企画する、授業コーディネーターと呼ばれる20人ほどの人たちがいる。しっかりした人たちで構成されているので、シブヤ大学事務局としては、授業コーディネーターに対して、「あなたが一人目の生徒として受けたい授業をつくってください」という注文を出すだけ。先生の発掘から場の設計までを通して行う。講師が伝えたいテーマを確かめ、どういうふうに伝えればよいか、それにふさわしい場所はどこが良いか、対象はどうしよう、人数は、……。といった形で、講師と相談しながら進める。

自分の身近なことについて、いろいろなことをみずから学び、経験し、ときには先生になって教え、ときにはプロデューサーになって企画する。

こうした機会は、私たちの身の回りにそれほど多くあるわけではない。この大学の主目的は教育であるが、そうした自発的に活動する場がつくられている。こうした教育交流を通じて、あるいは教育企画活動を通じて、地域でコミュニティが生まれる。この大学の発起人の1人は、参加した気持ちを、「初めて渋谷に夫婦で住んで、自分の子供をわずかの時間でも預かってくれる仲間がいない」と思ったのが、きっかけだと言っていた。

コミュニティづくりのために、当大学は3つの仕事をこなす。第1に、街に関わる活動を、大学の中でゼミやサークルに認定して、いろいろなメディアに載せて街の人に伝える役目。たとえば、原宿の表参道で行われるよさこい祭りへの参加を促す支援のために、地元のお母さんたちによる授業を企画する。それが縁になって、夏の大会に出る。20人ほどの人が練習を重ねて出場。地元のイベントへの大学らしい協力法だ。

第2に、新しいコミュニティづくりのサポートがある。先に紹介した映画音声解説の授業とゼミ活動はその成功例。趣味や気持ちを同じくする人が集まり活動する場をつくる。

第3はキャンパスマップの作成。地域のお店に対して、シブヤ大学の学生への特典提供をお願いする。「ご飯大盛り」でも、「奥で休憩」でも、「うんちくを語る」でも何でもいい。それを通じて、馴染みができ会話のきっかけができる。地域に新しい繋がりが生まれる。

都会には、仕事と享楽とが渦巻き野心に燃えた若者が集まる。若者は、誰にも邪魔されずやりたいことをやる。都会とは、そうしたところ。言うところの無縁社会はむしろ望むところ。高度成長期、そうして若者は都会に集まった。だがその場合でも、いつでも帰ることができる田舎があった。田舎に帰れば、家族、親戚、隣近所が互いに支え合いながら、しきたりや行事を中心に分厚いコミュニティが形成されていた。

しかし、今それはない。田舎は年をとり過疎化する。広がって住むのではなく、街中心部にコンパクトにまとまって住む「コンパクトシティ構想」が生まれるのも無理はない。高齢者は自分の暮らした家を捨て、中心部のマンションへ移り住む。街中心部であらためて一からのコミュニティづくりが必要になる。

他方、高度成長期の人口移動によって、都市に移り住んだ若者はその都市に定着したが、年を重ね、今はその都市中心部へ移り住む。私が住む大阪のベッドタウン都市においても、郊外の一軒家からJRや私鉄の駅周辺に建ち始めた高層マンションに移り住む。高齢化した核家族は、誰にも頼らず独力で日々の暮らしを営むしかない。ここでも一からのコミュニティづくりが要請される。

一からのコミュニティづくりには、周囲の商店街や自治会などが旗振り役になる。が、シブヤ大学が試みるコミュニティづくりは、今までにない貴重な役割を果たすように思う。「教え教えられる」緩やかな教育交流という形式が、押しつけがましさを消す。あるいは、自分のキャリアをいろいろな形で生かすことができ、うまくすれば小さいビジネスにも変身する。シブヤ大学が切り開くそんな新しい息吹に期待したい。