このままでは日本の科学技術は衰退する
2010年末には2人の日本人化学者がノーベル賞を受賞した。21世紀になってから毎年のように日本人の受賞が続いている。日本人としては誇らしいかぎりだ。科学技術へのこれまでの投資が基礎科学の分野で果実を生み出しはじめたことを実感させる出来事だ。しかし、その陰で、今後の科学技術政策に関して危惧すべきことがいくつかある。一つは、最近の科学技術政策への不安である。現在の学術的成果は、過去の科学技術政策の産物であり、最近の科学技術政策ではよい成果が期待できないのではないかとという危惧である。最近は研究費の配分が成果をもとに行われるため、研究の継続性の担保が難しくなっているし、若手の研究者の地位も不安定になっていて、息の長い研究に取り組めなくなっていると嘆く研究者が少なくない。もう一つの不安は、産業界において、必要な分野への研究開発投資が行われていないのではないか、あるいは、技術開発の成果がうまく生かせていないのではないかと感じさせる例が増えていることである。
私は、これらの問題は同じ原因からきているのではないかと感じている。科学技術への投資を科学的・合理的に行おうとすることからくる問題である。
科学的方法とは、合理的な方法論に従って集められたデータや証拠をもとに、目的達成につながるような行動を論理的に推論し、それに沿って行動するという方法である。自然科学の世界では、この方法で導かれた推論をもとに行動することによってほぼ確実に目的を達成することができる。しかし、社会的な現象については、この方法がよい結果をもたらすとは限らない。社会現象については、物事を決める前に理にかなっていると判断される行動と、物事が起こってからそれが理にかなっていたと判断される行動とが一致するとは限らない。
この関係を示したのが次ページの図である。図の横軸は、事前の合理性のあるなしを示している。事前合理性とは、事を行う前に、その行動が目的の達成につながるという合理的な論拠を持っているかどうかを示したものである。縦軸は、事後の情報をもとにした合理性のあるなしを示している。うまくいく行動は、結果として理にかなっている行動、つまり図の事後合理性を持つ行動である。事前合理性と事後合理性とが一致しないというのが、不確実性の高い状況の特徴である。