不況に泣く地方都市が多いなかで、この人口8万人の町は元気いっぱいだ。地勢的条件の重要性とともに、地域社会との緊密な関わりが質の高い産業を育てた、と筆者は説く。

3つもの産業が小さな町で発展した

兵庫県の西部、播磨地方の山沿いの「たつの市」という小さな町を10年ぶりに訪問した。その商工会議所の新春講演会に講師として招かれたからである。10年前に訪ねたときは、大病で長期入院をした直後だった。入院中に司馬遼太郎の『街道をゆく』を読んで町を見たくなったからである。そのときの訪問で、この小さな町に全国規模の産業が3つもあることを知った。たつの市の現在の人口は8万人強である。数年前に周辺の町と合併する前は人口5万人にも満たない小さな町であった。この町の3つの産業の第一は醤油、第二は手延べそうめん、最後は皮革、なめし革である。龍野醤油のほとんどは淡口(うすくち)醤油である。龍野の醤油産業は17世紀に生み出されたものだが、淡口醤油は1666年に龍野の円尾孫右衛門によって生み出された独自商品であり、「龍野淡口醤油」は地域ブランドとして認定されている。もう一つの地域ブランド「揖保の糸」で知られるそうめんは、奈良県の三輪と並ぶ日本の主要産地である。皮革は中間素材であり一般にはあまり知られていないが、近接する姫路市高木地区とならんで、プロの間では、高品質のなめし革として有名だという。

なぜこれほど小さな町に3つもの産業が発展したのか、以前から疑問であった。10年前に学部ゼミ生のプロジェクト研究の宿題として、その理由を探ってもらったことがある。彼らが注目したのは、旧龍野藩の殖産振興政策と地域の地勢的な条件であった。龍野藩は、石高が小さいため天守閣をつくることが許されないほどであった。この龍野藩にとって、財政基盤を強化するためには産業の育成が不可欠であった。地域の産業として、これら3つの産業が育成された。もちろん、明治以降は、これらの産業は自力で成長した。

龍野の地場産業の地勢的な条件として最初に挙げられるのは、揖保川の水である。水は醤油の重要な原料であるし、そうめんの製造工程でも水は不可欠である。なめしには、緩やかに流れる河川と広い河原が必要であった。揖保川の水運は製品の出荷にも好都合であったろう。近隣の産品もこれらの産業を支えた。播州平野で生産される小麦は醤油やそうめんの主原料である。近くの赤穂で生産される塩は、醤油の重要な原料であったし、皮革の保存や処理のための必要素材であった。瀬戸内気候で晴天が多いこともこれらの産業にとっては好適であった。消費地である京大阪と適度な距離があったということも重要な地勢的条件であった。