なぜ教訓は埋もれてしまうのか
――申請しなければ、災害関連死の教訓が埋もれてしまうということですね。
そこが大きな問題だと感じています。教訓が埋もれてしまう原因は、申請の難しさだけではありません。
東日本大震災や熊本地震の自治体の中には、災害関連死の資料を廃棄した自治体もあるそうです。申請書は、遺族にとっては大切な家族が生きた証です。それを破棄するなんてありえないと感じました。
災害後の避難生活をよりよくして、被災者1人1人の寄り添える支援を実現するためにも、災害関連死にもっと目を向けてほしいのです。たくさんの人がそうした意識が共有できていれば、資料を破棄するなんて発想にはならないと思うのですが……。
――宮崎さんは、災害関連死はゼロにできるとお考えですか?
災害による理不尽な死をすべてなくすのは難しいと感じます。
でも、災害関連死は支援や防災の取り組み、あとは災害弱者と呼ばれる人へのサポートによって限りなくゼロに近づけることはできると信じています。ゼロにできる。そうした意識をもって、支援を行ったり、防災政策を考えたりすることが重要なのではないでしょうか。
「もう二度と」という言葉の重さ
8年前まで、まさか娘が地震で亡くなるなんて、そして私自身が災害関連死の遺族になるなんて、想像もしていませんでした。
過去の被災した人たちや遺族の方々は「もう二度と同じ悲しみを繰り返して欲しくない」と話しますよね。私は当事者になって「もう二度と」という言葉の重さをはじめて実感しました。
阪神・淡路大震災でも、倒壊の恐れがある病院に入院中のお子さんが、治療を継続できずに亡くなったそうです。二十数年前にも私と同じ経験をしたお母さんがいたんです。
そのお母さんもきっと「もう二度と」と感じたに違いありません。しかし私自身は、当事者になるまで、そうした人たちに思いを馳せることができませんでした。
「もう二度と」と思った人は、過去の災害でも大勢いたはず。それなのに、新たな災害が発生するたびに、同じ悲しみが繰り返されてしまう。いまの私には、それが悲しくて、悔しいんです。
そんな気持ちから今年の3月11日に立ち上げたのが「災害関連死を考える会」です。