「禁断の果実」は甘みが増す

先ほど紹介した老人ホームでの選択権の研究を見れば、P&Gがタイド・ポッドのキャンペーンで失敗した理由がわかるだろう。人間は選択肢や行動を制限されるのを嫌う。自分の行動は自分で決めたいという強い欲求があるのだ。

この大切な自由が奪われそうになると、人は本能的に反発する。何かをしてはいけないと言われるのは、個人の自主性に対する侵害に他ならない。自分の行動は、あくまで自分の意志から生まれていなければならないのだ。

そのため、人は自分の自由を奪う存在に反発する。いったい何の権利があってこの私に命令するのか。運転中にメールを打つのも、立ち入り禁止の芝生で犬の散歩をするのも、私の自由ではないか。私には自分のやりたいことをやる権利がある!

自分の行動を自分で決める能力が奪われると、あるいは奪われそうになるだけでも、人間は大きな警戒心を持つ。そして、自分のコントロールを取り戻す方法の1つが、禁止された行動をあえて行うことだ。運転中にメールを打ち、立ち入り禁止の芝生で犬を放し、そしてあろうことか、洗剤パックにあえて噛みついたりするのだ。禁止されていることをするのは、主導権を取り戻す簡単な方法でもある。

運転中にメールを打つこと自体は、それほど楽しいことでも、どうしてもやりたいことでもなかったかもしれない。しかし禁止されることで、なぜかやりたくなる。禁じられた果実は、さらに甘さが増す。なぜかというと、それを食べるという行為には、自主性を取り戻すという意味もあるからだ。

何かを禁止すると、心理学の世界で「心理的リアクタンス」と呼ばれる現象を引き起こす。心理的リアクタンスとは、自由が奪われた、あるいは奪われそうになっていると感じるときに生まれる不快な状態だ。

相手に選択肢を与える

変化を仲介する1つの方法は、相手に進む道を選ばせることだ。目的地はあなたが望む場所なのだが、そこまでの行き方は相手に決めてもらう。

子供がいる人なら、この方法を日常的に使っているだろう。小さな子供に特定の食材を食べさせようとする努力はたいてい失敗に終わる。ブロッコリーや鶏肉がそもそも好きでないのなら、むりやり食べさせようとしてもさらに抵抗されるだけだ。

そこで賢い親は、子供に選択肢を与えるという方法を選ぶ。

「どっちを先に食べたいかな? ブロッコリーにする? それともチキンにする?」

選択肢を与えられた子供は、この状況で主導権を握っているのは自分だと感じることができる。「ママもパパもむりやり食べさせようとしていない。食べたいものを自分で選べるんだ」

AとBを比較する女性
写真=iStock.com/metamorworks
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