美空ひばりを襲ったファンによる塩酸攻撃事件

ちなみに、楽曲許可をめぐり、笠置とトラブルがあった美空ひばりも、恐ろしい事件を体験している。1957年1月13日、浅草国際劇場で大川橋蔵と『花吹雪おしどり絵巻』の共演中、最後のほうにその事件は起こる。『ひばり自伝 わたしと影』(草思社)から一部引用しよう。

最後のリクエストの演奏をしているときでした。わたしがふと耳にしたのは「ええい」という女の子の声です。そのとき冷たいものが顔にかかりました。見ると花道に腰かけていた女の子の一人がわたしにむかって何かしたのがわかりました。「水鉄砲かな」わたしは、呑気にそんなことを考えていました。するとまた「ええい」という声がきこえました。とたん、ふいにフラッシュをたいたように、あたりがあかるくなったのです。それと同時に顔中が熱くなってきました。これはただごとではありません。わたしは走って、自分の化粧鏡の前に行って姿を見ました。思わず「ああ」といったら口の中から煙が出て来ました。その時はもう顔半面がやけつくようで、とてもたまりませんでした。

美空ひばり『ひばり自伝 わたしと影』(草思社)

自宅住所まで公開していた当時の有名人たちの無防備さ

それは塩酸だった。しかも、犯人はまだ18歳の、ひばりのファンだった。体の傷は幸い消えていったが、恐怖は心に付きまとって離れなかったとひばりだが、さらに意地の悪いファンは「おい、ひばり。また塩酸ぶっかけるぞ」などと、公演会場の二階か三階から野次ってうれしがったというから実に悪質である。

美空ひばり
美空ひばり(写真=『サンケイグラフ』1954年8月1日号/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

驚くべきは、豪邸を建てて優雅に暮らし、私生活もメディアに披露していた当時の芸能人たちの無防備さと、そうした芸能人をターゲットにした犯罪の数々。そこには今では考えられないほどの芸能界の光と闇があった。さらに、こうした凄惨な事件を一つのエンタメのように報じたメディアの数々と、それを「有名税」くらいにとらえていた一般の人々の感覚にも時代の変化を感じざるを得ない。

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