「資料の作成ミスをした…私は無能だ」

・過度な一般化

たった一つの出来事から、すべてのケースにおいてそうだと思いこみ、結論づけてしまうディストーションです。

仕事で資料の作成ミスをしたときに、落ち込むあまり、「自分は何一つ仕事ができない」と自己嫌悪に陥ることがあるかもしれません。でも実際には、たとえ資料の作成が苦手なのだとしても、その他の仕事の得手不得手とはまったく関係ありません。それどころか、実際にある現実は、ただその資料の作成において一度ミスをしたというだけで、資料作成が苦手というものでもないはず。これが「過度な一般化」の罠です。

顔を覆うビジネスマン
写真=iStock.com/mapo
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別の例をあげれば、仕事の面接に落ちたという一例を根拠に、「私は面接というものには受からないんだ」と一般論のような結論づけはできないはずなのに、私たちは、たびたびこうした思考に陥ってしまいます。

たった一回だけ自分に起きた不幸が、この先もずっと繰り返されるように、あるいは別のケースでも起こるように思いこんでしまうのです。過度な一般化はモチベーションを下げ、自身の可能性が最大限に発揮できないように自らを制御してしまいます。

もう少し広い視点で見てみると、いま世界のあらゆるところで起こっていることですが、ある時に一人のアジア人から嫌なことをされたという経験だけを根拠として、「アジア人は全員が嫌なやつだ、アジア人が憎い」と結論づけたりするのも、「過度な一般化」の危険な一例です。

「疲れた表情をしていた、私といて楽しくなかったんだ」

・ネガティブ“だけ”を見る

物事には良い面と悪い面の両方があるはずなのに、悪い面ばかりに目がいく、というディストーション。一般に「マイナス思考」といわれるものが、これにあたるかもしれません。

テストの点数が100点満点中80点だったとき。「80点もとれた!」とポジティブな面を見るのではなく、「20点分も間違ってしまった……」というネガティブな面に気をとられ、落ちこみます。

大好きな人と多くの時間を楽しく過ごせた一日でも、ある瞬間にわずかに恋人が見せた疲れた表情が気になり、「嫌われたかもしれない」と気に病んでしまうのです。

それ以上にたくさんのポジティブな瞬間があったはずなのに……!