5127個の試作品を経て第一号が完成
試作品(要するに失敗作)、5126個! かれがなぜ、一代で、世界的な家電メーカーをつくり上げることができたのか?
その理由を、かれの人格面から考察すると、やはりパラノイア(偏執症)の気質が絡んでいる。
徹底的なパラノイア。
かれがサイクロン掃除機をつくることになったきっかけはこれからお話しするが、その仕組みを思いついてからサイクロン掃除機の第一号を開発するまでにつくったプロトタイプは、なんと5127個! 最後の1個がファイナル・プロトタイプだ。発明王トーマス・エジソンもプロトタイプづくりが好きだったが、ダイソンが完勝した。
すべてを失い、借金まみれでも失敗を楽しんだ
しかもそのときのことを自著『インベンション 僕は未来を創意する』(日本経済新聞出版)で、次のようにさらっと書いている。
「数千個のプロトタイプづくりはたいへんだったけれど、楽しくて夢中になれるプロセスだったし、僕はサイクロン技術について多くの知識を得た」
そのときのかれは、実は前に5年もかけて苦労して発明したボールバロー(手押し車)の特許や会社すべてを奪われたあとだった。妻子と莫大な住宅ローンを抱え、借金まみれであったにもかかわらずだ。やっぱり並の神経の持ち主では楽しめるはずもない。徹底的なパラノイア気質のなせる業だ。
さて、かれが、サイクロン式掃除機をつくったのは、31歳のときだった。最初に勤めた会社でモノづくりに目覚めた。そしてはじめてのスタートアップで、そのボールバローの会社を設立。失敗して無一文になったが、それを製造する工場で、塗装スプレーの粉塵を吸い込むサイクロン式分離機を目にしていた。サイクロン式分離機は新しい技術ではなかったが、ジェームズ・ダイソンはひらめいて、掃除機に応用できるのではないかと思った。