商品を陳列し、値札を付けるというアイデアは、世界に先駆けて日本で生まれたものだ。ベンチャーキャピタリストの古我知史さんは「大衆向けの薄利多売のビジネスモデルを現実化した三井高利は、世界の小売りの常識を変えた」という。新刊『いずれ起業したいな、と思っているきみに 17歳からのスタートアップの授業 アントレプレナー列伝』(BOW BOOKS)より、一部を紹介する――。(第3回/全4回)

日本が誇る、世界の小売りの常識を変えた男

三井高利 Mitsui Takatoshi
1622~1694 伊勢生まれ。三井家の家祖。14歳のとき江戸に出て長兄の営む呉服店越後屋に奉公。いったん郷里に戻るも、1673年長兄没後、江戸日本橋に宿望の呉服店を開き、’83年現金による店頭での定価販売、布地の切売などの新商法を開始。店内分業制や賞与制などの新しい管理法も始める。同時に両替店を開いて金融業の兼営を始めた。

本稿では、日本の代表的なアントレプレナーを紹介しよう。わたしの尊敬する人の一人だ、残念ながら、お会いしたことはない。なにしろ、1600年代、つまり江戸時代の人なので。

三井高利。この名を知らなくても苗字でピンとくるだろう。三井物産、三井不動産、三井化学、三井E&S、三井住友銀行等々の三井グループ、その元となる戦前の三井財閥の創始者だ。

「越後屋」をつくった以上の偉業がある

その三井財閥の基礎をどうやって築いたかというと、いまの三越百貨店の前身である呉服屋「越後屋」だった。三越百貨店自体、いまは、三越伊勢丹ホールディングスとなっているし、若い人には百貨店そのものがオワコンで、だから何? かもしれないが、三越と言えば、戦前からバブル期までの昭和の時代、三越でお買い物、というのがある種のメッセージを発するような日本一の高級百貨店だった。

三越百貨店のイメージ
写真=iStock.com/mizoula
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ただ、これからお話しする三井高利のアントレプレナーとしてのすごさは、単に、その三越の前身をつくったなどということではない。いまも続く、世界初のとんでもない「革命」を商習慣そのものに起こしたことにある。とにかく、かれのビジョンとスタイルは、現代の若いきみたちにも、十分、勉強になるはずだ。