トップを動かす「5つの思考実験」

しかし、そこまでなら抽象的な推論だ。理屈は正しくても、実現するためには人を動かさなければならない。そこで問われるのが、(4)「思考の現実化力」だ。

私がよく使うのは、次のような組織変革のメカニズムである。

組織が停滞するとき、トップに「経営への課題意識」があり、ミドルも「現状への問題意識」を持っているものの、一般社員が「現状肯定意識」を抱えたままであることが多い。このような組織を変革する場合、まずトップが「5年後にわが社の利益は半減し、10年後にはゼロになる」などと揺さぶりをかける必要がある。そうすることによって、それがミドルへと連鎖し、さらには一般社員が模倣をはじめ……という経路をたどって、最終的には全員が変革に向かって動き出す。

理論を実践に移すには、このようなモデルを頭の中にいくつか用意しておくことが肝心なのだ。

さらに、(5)「思考を実行化するノウハウ」が加わることで、情報はようやく現実の経営戦略に活かされることになる。

私が心がけているのは、実行に当たっては必ず「5W2HYTT」を意識して指示を出すことだ。つまり、いつまでに・どこで・誰が・何を・なぜ(5W)、いかにして(How)・どれくらい(How much)実行するのか、さらに昨日・今日・明日(YTT)にはどうあるべきか、を報告させる。経験上、こうすることによって戦略が実行化される確率は格段に高まる。

私は広報部や経営企画部のスタッフ時代から、以上5つのポイントを常に心がけてきた。

経営戦略を実行に移すのはスタッフではなく、経営トップの仕事である。私は若い頃から経営トップと直接やり取りをする機会に恵まれたが、そこまでの思考実験をしておかないと、トップは動いてくれない。単に「この情報は大事です」というだけでは、仕事をしたことにならないのだ。

「この情報は原理・原則に照らすとこのような意味があります。全体から見てわが社にはこのような価値があります。他の情報と組み合わせると、さらに高い次元の価値が生じます。このように工夫すれば組織を動かすことができますから、実現にはこの戦略をとるべきです」

こうしたことが無意識にできるようになれば、必要な情報を選び出し、仕事に活かすための勘がおのずと養われているはずだ。

※すべて雑誌掲載当時

アサヒグループホールディングス社長 泉谷直木(いずみや・なおき)
1948年、京都府生まれ。京都産業大学法学部卒業。広報部長、経営企画部長、東京支社長などを歴任。2004年、常務。09年、専務。10年3月より現職。自他ともに認めるメモ魔。本取材に際しても、ポイントを記したA4用紙を事前に準備していた。
(面澤淳市=構成 小倉和徳=撮影)
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