死への恐怖のあまり、思い悩んで眠れなくなった時にはどうすればよいのか。エッセイストの松浦弥太郎さんは「『眠って目が覚めないだけ』そんなふうに自分を思い込ませてみたら、死に対する恐怖心や不安がなくなった」という――。

※本稿は、松浦弥太郎『眠れないあなたに おだやかな心をつくる処方箋』(小学館)の一部を再編集したものです。

死はわからないから怖い

昨年、メンターとして慕っていた方が亡くなったとき、僕はうつろな日々をしばらく送っていました。

尊敬するひとが、亡くなってしまうことは、あまりにも切なく、寂しいものです。

いっぽうで、自分にとって「死」というものについての考え方は、おそらくひとよりもシンプルだと思っています。

「死ぬって怖い」「死にたくない」

そんなふうに、漠然と思っているひとは多いと思います。でも、誰も「死」を経験していないから、どんなものだかわかりません。

わからないから、怖いのだと思います。不安が生じる理由は、「わからない」ことにあるからです。

暗闇に浮かんだ青白く光る煙
写真=iStock.com/Astragal
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死は「眠って目が覚めないだけ」

僕の考える「死」とは、すごくわかりやすくて、すごくシンプルです。

それは、単純に「眠って目が覚めないだけ」。

「死」について多くのひとは、病気だ、ケガだ、事故だ、苦しい、などとさんざん恐怖心をあおられてきたのではないでしょうか。

でも僕はそれほど怖いとは思っていません。単純に、「眠って目が覚めないだけ」と思うのです。

漠然とした不安が起きてしまうのは、ある程度、仕方のないことでしょう。

この先、たいせつなひとやパートナーを失ってしまうのではないか。

一人残されたときの将来を考えると不安でたまらない。

自分自身がこの先どれだけ生きられるのか、わからない。

でも、生きているひとはまだ、誰も死を経験していないので、どんなものだかわかりません。結局は想像することしかできないのですから、僕はこう思い込むことに決めました。

「眠って目が覚めないだけ」

そんなふうに自分を思い込ませてみたら、「死」に対する恐怖心や不安がなくなりました。

毎日、僕たちは眠りにつきます。

そして数時間後、僕たちは起きます。

けれども「死ぬ」ってことは、眠って、目が覚めないということ。

もちろんこれはあくまでも僕の思い込みです。思い込みだけれど、そう思っておくと、「死」というものが、それほど怖くなくなってくる。そう思いませんか?

わかりませんが、死を迎えるとき、ちょっと苦しいなと思いながら眠るのかもしれません。

どこかが痛いのかもしれません。苦しいのかもしれません。

それでも、結局は、気を失うように眠ります。目が覚めなければ「死」です。

そんなふうに捉えておけば、死のことを考えてしまい、恐怖のあまり思い悩んで眠れなくなる意味はなくなると思うのです。僕もこれまで、病気にかかったらどうしよう、事故に遭ったらどうしようと、さんざん恐怖心を持ち、「いつ死ぬんだろう」とおびえていた時期もありました。でも、ほんとうの「死」は、きっと全然、怖いものじゃない。

「眠って目が覚めないだけ」

僕自身がこれまでの人生にひと区切りつける。与えられた役割を終える。

そして、新たな出発を迎える。そんな感じではないだろうか。僕はそう自分自身に思い込ませています。